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表現を口に含む。


「表現を口に含む」という言い方で、わかるなあ、としみじみしてくれる方がいたらうれしい。 逆に僕が訊かれたら、実はワタクシもなんです! と鼻息を荒くして、手を差し伸べてしまうだろう針に糸を通すような狭き嗜好だ。 

口に含みたくなる表現にばったり出逢ったら、知識と経験が紡ぐ言いまわしを愛で、スプーンで掬って口にして、舌で転がし、たまに噛み、割れた殻から染み出す髄液、カラリと気持ちを揚げる機知の隠し味が脳幹を震わすのに酔う。
そんなふうな表現だと、つい文字列を反芻してしまう。 筋を追うだけなら無用の長物の、目に見えない暗闇の綴りを白日に晒す、白馬に乗った魔手。

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「尋常でない視力の持ち主」と書かれていたなら、さらっと流す。 

 「視力6.0はあろうかと思われる視力の持ち主」でも今一歩。ん、なんというか、理屈っぽい。 

少なくともそこは「闇夜のカラスをも射抜く視力の持ち主」くらいの表現をさらりと凌駕していてもらいたい。 多少長くても、冗長の手を引いていなければおっけー。 

 惚れる一文だと何度か読み返し、たまに書き出したりするものだから、表現に「いいなぁ」がこぼれる本に出逢うと、読むのにとてつもなく時間がかかる。
買った本なら期限がないので追われる感に迫られないが、公共書庫から借りてくると、しわ寄せが最後の3日あたりに集中してしまう。 なんとバランスの悪い読書だろうと我ながら情けなくもありかつ呆れてしまうのだけれど、気がつきはしても反省はない。だからいっこうに改善する見込みはない。 

追い込み期に突入してしまうと、額に汗してねじり鉢巻、躍起必死のカウントダウンに腹の底に力を入れて、歯を食いしばり、読書スパートがんばる。
追い込まれても、読み飛ばすような真似はしない。取りこぼしてしまうと、自分基準で完読にさえならないから。
 かつて毎年繰り返した8月下旬の「まとめ宿題」も同じようなものだった。遊び呆けが過ぎて青ざめ、前日にダッシュをかける一夜漬け英単語詰め込み勉強を彷彿とさせる時間でもある。
休み明け指定日きっちりに宿題を提出しなければ、また英語のテストでそこそこの点数取らなくちゃ、やった意味が失せるのとすごく似ている。 

かくして今、『羊と鋼の森』片手に奮闘中。
またしても、読中報告。
読書感想になっていないのは毎度のことであり、スパートをかけなければならないのは来週後半からである。

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