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くらくらホン。

 老人スマホ教室補助員ボランティア第2回目終了。

 教室の抽選に当たった相談者すべてがAndroid OS端末だった。
 リンゴマークのあいつがいなくても、別に驚くことではない。無駄な出費を抑える生活土台が今でも色濃く残る世代に、10万円を超す贅沢機は無用ということなのかもしれない、などということをふつふつと考えてはいたけれども。少なくとも「スティーブ・ジョブスの考え方に共感することができなくてね」と気骨あっての反骨からくる選択ではなかったことはわかる。

 Android OSで困るのは、iOSと違ってメーカーごと、機種ごと、androidのバージョンごとに使い方が違ってくること。とはいえ基本構成は一緒だから、この問題はたいしたことではない。たいしたことは、理解しようだなんてハナから考えちゃあいなかった『らくらくホン』画面が設定されてる機種があったこと。これには面を食らった。
 らくらくホンは、おおいなる引き算で構成されたメニュー画面が特徴だ。わかりやすく、扱いやすく、というコンセプトのもとじっくり練られて作られたのだろうけど、引き算がすぎたせいか、解決すべき扉をも引かれた画面に戸惑った。閉ざした要塞、その堅牢ぶりたるや。問題を解決しようとする頭がショート寸前。老人にとってのらくらくホンは、補助員にとっては「くらくらホン」ーーおバカな駄洒落で自傷したくなるほどの頑固もん。単に使い慣れていないせいなのだろうけれど、少し前の朝日新聞記事を思い出して、あと出しジャンケンのように納得した。新聞には「親のスマホはらくらくホンではなく、自分と同じ OSを」とあった。まさに、そのとおり。教える側の身になれば、道理である。
 もちろんスマホ教室の迷える老人に「らくらくホンやめましょう」とはいえない。そんなことしたら、ただでさえ取扱困難事案に奇々怪界の混乱事案を上塗りしてしまうだけだから。
 うむ。抜け道はないかと、思慮に沈む。使用者にとってわかりやすい方法を見つけなければいけない。だけど、いったんandroid画面に戻して再設定後『らくらくホン』画面に戻したとしても、やり方がわからないから教えてほしい、のリクエストに応えたことにはならない。「設定してくれてありがとう」という言葉は期待しちゃあいないのだ。「合点がいったぜ」「不可解の氷解だ」という感嘆符がほしいのだ。

 第2回目を終えて、ひとつ皮が向けたこと。それは、絶対知で知識を押し付けてしまうと生徒に引かれてしまうので、一緒に困ることが大切だということを知ったこと。
 もちろん、問題は時間内に解決しなければならない。それが与えられた使命だから。難題に頭をクラクラさせられたとしても、おクラ入りは許されないのだ。ふう。 

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