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ある職人の選択。

 人には自己肯定感の獲得欲求があり、潜在的に目立つような言動を発動することにより人から認めてもらおうと行動を起こすことがある。中には「目立つのは苦手」発言をする者もいるが、額面どおりに受け取ってはいけない。心底目立ちたくないなら、あえてそのことを口にしないものだ。他と一線を画そうとする自己主張と同じグループに属している。

「おまえらは」と言って、朝拭かれたばかりのデスクに人差し指を走らせ、付着してもいないチリを指の腹で示す、そこにはまるまる栄養素を行き渡らせたぷっくり太った指しか見えないのに、あたかも透けたテーラーメイドの豪奢な衣装が見えない王様を鼻であしらうような嘲りがあって、ついその威嚇にも思える鋭利な言いがかりに萎縮してしまったところで「これ以下だ」とつづけられた。
 それって、オレらの存在って、チリ以下ってこと? チリ以下ってなによ、どういうことよ?
 言葉は、身がまえ強張った体にふりおろされた鉄槌だった。鉄槌は、身も心も、老舗和菓子屋の大判煎餅が尻もちで粉々にちりぢりにされたみたいに砕け散った。
 人を人と捉えない暴言上司に「いつかぶん殴ってやる」と、ヤツは拳を握りしめたという。
 今のご時世なら、パワハラだ、名誉毀損だ、と騒ぎ立てられる。挽回の手立てがある。だが、職人が幅を利かせていた当時、上司、親方に逆らうことなど反逆罪の大罪だ。それが業界の習わし。暴言、暴挙が大手を振って歩いていた。

 ところが、だ。ヤツが親方になったころ、あることに気づいた。暴言、暴挙の裏側に、見えない沼の入り口があって、底に深い意図が押し込められていたことを。中には受け継がれていく暴言、暴挙の伝統を能天気に踏襲する思慮足らずも少なからずいたけれど、ヤツは違っていた。経験の浅い連中は、最初に生意気頭をがっつり押さえ込んでおかないと、四方八方勝手気ままに不可侵条約破って闊歩する。すると番組収録時、厄介事のリスクが高リスク。美術ごときが制作のお膳立てをぶち壊し、やることなすことにケチをつけ、嘲りの鼻を鳴らし、食ってかかってしまったら、余計なお節介ではすまなくなる。これは放送業界に限ったことではない。世間知らずの気遣い足らずはどの世界にも蔓延していて、組織に所属したら最後、身内の越権行為は会社存続の存亡に関わってくるのだ。
 仕事の言動は、素人のままではいけない。士農工商、社会のヒエラルキーは、国民平等、男女同権の世にあっても、実は現存社会に脈々と息づいている。

 あってはならないこと、してはならないことを、これまでの習わしで教え込もうとする連中もまだいる。だが、大事なのは習わしを引き継ぐことではない。なのに大事なところをすっぽり欠いて、引き継いだ生き方しかできずにパワハラで組織を去る者もではじめた。

 業界のしきたりは崩せない。だが、やり方の習わしを踏襲していては、持続可能性の芽を毎日ひとつずつ積んでいくことになる。出た杭の頭を叩きつづけることは、自己肯定感の獲得意欲をも潰していくことになる。言って聞かせてさせてみて、と、かの大将が名言を残してくれたが、秒単位で仕事が進む現場では悠長にかまえてなんかはいられない。
 一方、大事なことを頭で諭していくことが最善の方法だということは心得ている。

 ヤツは、休憩時間に、昼飯どきに、財布のゆとりが許せば酒の席に誘い、あり方と求められているもの、習わしと現実、変わらなければならないものと変えられないものを、地道にこれからの労働力に話して聞かせている。

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