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中流未満の忍耐限度。

 総中流社会の時代はとうの昔に歴史に名を刻み、今ではひと握りの金もちと多くの中流以下とに分断された。大半を占める中流以下を貧乏と定義しきれないのは、ぎりぎりにせよ食いつなぐのに不足なく、『パラサイト 半地下の家族』の手前で首の皮がつながっている層が厚いからだ。

 国産鰻はスーパーで日々消費期限を迎え、旬の魚に安かろう良かろうを追う。それでもこの秋、サンマやマスの不良は中流以下の財布に物価の取り立て屋を大量に送り込んだ。欧米の先進国による景気の好循環も、取り立て屋を勢いづかせる一因となっている。

 この国の経済は循環させるのに大量の潤滑剤という資金を必要とし、ない脛を齧られる親がそのうち底をついて倒れるように、この国の中流以下も救済を必要とするようになり、いずれは見栄っぱり経済の軸足をくじくことになる。
 息の根が弱まる経済循環を延命するために、意地でもない袖を振る政府。お上を見上げる者からすれば、溺れるものは藁をもつかむがおこぼれは雀の涙であり、泣きっ面にハチである。国を立て直そうとする側からすれば、労多くしても少しは実るはずの目論見は見当違いに陥り、火に油状態。

 わたしたちは、過去の栄光にすがりすぎた。食べてしまったものは消化され、排出しか待ち受けていないのに、あの美味を忘れられず、喉から欲望の手を「よかったあのころ」に伸ばす。もう、棚からぼた餅が落ちてくる好循環はやってはこない。希望の凋落、暮らしの奈落、中流未満の行く末は暗く重い。

 で、全体を見渡せば、どうなっているかだ。
 金持ちや利権・特権所有者とて、足蹴にしていた中流以下階級の土台が揺らげば、盤石だった足元は軟弱に転化している。となれば、一蓮托生で共に崩れていくか、それとも……。
 共同運命体として、真摯に真剣に嘘偽りなく、彼らもあの女王が心掛けたように、最大公約数たる中流階級目線でリスタートしてくれさえすれば、あるいは、見せぬ手の内を技巧的に動かして当選を操作するなどの小細工などしなくなるようにしてさえくれれば、はたまた、ひとり勝ちで悦に入り宇宙からにこやかに、軽やかなコメントを平和理に送ってみせるではなく、かつて存在したできた政治家のように、瞬時に消える資金を生み出す金に変え、経済循環の小軸をいくつかこしらえてくれさえいれば、わたしたちはもう少しがんばってみてもいいと思っているのに。

 そもそも、もう少しがんばるのはわたしたち? それとも、わたし? 問題の原点は、実はそこにあるのだけれども。

画題【金持ち・権力持ちの日向、その他大勢の日陰】

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