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「あっしが関わってきたことでござんす」

「あっしには関わりのねえことでござんす」

 全国の町から村、村から村へ旅を続けていた木枯し紋次郎は、面倒ごとに巻き込まれまいと伏せ目がちに歩みを進め、降りかかる火の粉を避けようとしながらも結局は避けきれず、毎週巻き込まれ、天命に振りまわされ続けた不遇の火傷負いびと。その紋次郎が、自ら火中の栗を拾おうとしている問題があった。

 2022年9月24日、朝日新聞朝刊3面の左上に『俳優・中村惇夫さん 半世紀追い続け』というサブタイトルが打たれていた。
 記事は氏の語りで、今騒がれている政治と宗教が、その昔から結びついていたことを伝えていた。氏は当時より両者の癒着を問題視していた。そのこだわり具合は執念と言うべきもの。なぜそこまでこだわり続けるのか? 氏は執着の原動力を「不正への怒り」と言い切る。その姿勢が、全身全霊を傾けて、火の粉で燃え始めたアレやコレやの火消しに走りまわっていた楊枝咥えた紋次郎と重なった。

 今の時代に生きるあの紋次郎も今や御年82歳。その年にして、なんとかっこいい大人なことよ。
 氏の向き合う問題は個人的立場からすればあまりにも遠く「あっしには関われねえことでござんす」ではあるけれど、今の紋次郎にも、楊枝を咥えた紋次郎にかつて送ったのと同じ(or ≦)エールを送りたい。
 
 そしてまたあの時のように、吹き矢の如く飛ばす長楊枝、ふっと吹いてひゅぅぅぅぅぅーーぴっ。核心を突いて不快不理解を解いてもらいたい。

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