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糾弾者。

 人は、新しいことを始めると、やらなければならないことが山ほど生じることを知っている(と思い込んでいるだけかもしれないが)。やることが増えるのは面倒だから、やらない(という現実を飽きるほど目にしてきた)。
 すると、何も変わらない。
 いや、そうとも言えない。
 変わらないことは退化だと誰かがページの隙間から囁いていたように、何もしないと進化の放物線は間違いなく下降する。
 
 科学や物理学の発展、会社の業績を上げることを言っているのではない。放られた石は込められたエネルギーを使い果たすまで予測された軌道を進み続けるけど、石が地に落ちる時、地は、石が放られた時の状態のまま待っていてくれるかどうかは定かでない。宇宙戦艦武蔵が地球に帰還する時、大和のように人類が放射能除去装置を待ち侘びてくれているとは限らない、ということだ。あまりにも光速移動が過ぎたので、タイムリミットに間に合わなかった、という結果だってあり得る。
 時代が地滑りを起こしたら、地形に合わせた対策を考えなければならない。地滑り前に放った石の処理を含め、面倒なことを自ら考え、創り、こなしていかなければならない。

 亀の胃からマスクが出てくる時代だ。他所の誰かがやったこととして看過してはいけない。同じ人類の仕業なのだ。知能者層の種が多様化してくれば、糾弾ものだ。迫害ものだ。裁判沙汰だ。
 
 人類は、何をやっても許されると思っているのか?
 淘汰される前に、気づかなければいけない。

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