見出し画像

小さな落とし物。

 かつて雪国のとある港町の街路樹に、小さな子供用の赤い長靴が大人の目の高さより少し低い枝にかけられていた。冬の空は青く、無垢な乙女のように澄み、ウインターブーツでなければ底なしの底冷えが靴のソールから脳天に突き抜けていく厳寒の日のことだった。
 北国に数日連泊すれば、熱のこもらない日差しにも慣れてくる。その日の日差しも、光に乗せて冷気を地上にふりまいていた。
 顔の浮かばぬどこぞの家族が、子を車に乗せる際に脱げ落ちて、ころころ路上に躍り出ておいてけぼりをくらったに違いない。そんな赤い長靴が、どうして大人の目の高さより少し低い枝まで辿り着けたのか。路上にかがみ、雪を払って目につきやすいところに置いていった人物がいたからだ。想像に難くない物語。

 今日、冬でも雪に無縁なこの地の商店街で、小さな子供用のフリースジャケットが路上でうずくまっていた。人見知りの仔猫なら人の気配に驚いて路地に逃げ込むところだが、仔フリースジャケットには、袖はついているものの手も足も出せない。自らの意思では動けない。
 行く人々は、見て見ぬふりで行き過ぎる。存在は気にかけられても、誰の手にとられることはなかった。放っておいたら、得点にならないゴミ箱というゴールに蹴り込まれて試合は終わる。
 まもなく師走に突入する晩秋。北の国ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めている時節でも、この地の太陽は人に優しく、ほんのり明るいあたたかみをふりまいている。
 今度は自分の順番だと思い至った。路上にかがみ、埃を払って目につきやすいところを探した。ベニヤに貼り付けられた大売り出し広告の小さな看板が街灯にくくりつけられていた。角を利用すれば、大人にちょうどの高さになる。看板がかけられるくらいだから場所は絶好で、だいぶん目立つ。
 かけてみた。
 うん、目立つ。これでよし。大売り出しのピーアールが少し隠れてしまったけれど、ピーアールしている商店の善行である。商品の売れ行きは関与の余地はないけれど、その心意気は多くの人が買ってくれるに違いない。
 顛末を向こうのほうから観察していた散歩途中(買い物かもしれない)の老夫婦が、目の前で足を止めた。何が起こったのか、他人の目にも想像に難くない物語だったろう。かつての紳士は立ち止まったまま好々爺の笑みを浮かべている。伴侶たるかつての淑女が、まるで息をするような静かな口調で「あたたかいからねえ」と言った。それだけで、彼女の描いた物語が伝わってきた。子供は次の遊びに夢中になると、前の玩具は捨て置かれる。子供は陽のあたたかさに脱いだ羽織着を忘れたのかもしれない。あるいは、少し汗ばんだお母さんが、脱がせた仔フリースジャケットをするりと脇から落としたことに気づかなかったのかもしれなかった。
「あたたかいからねえ」。そういえば、男も太陽のあたたかさに着ていたコートを脱いだんだっけ。北風が頑張っていたら、子供もジャケットを落とすことはなかった。

 仔フリースジャケットは、商店街でひとり待っている。いつまで待つのだろう。冬がもう一層地面に降り積もるまで、気づかれずに待ちぼうけすることになるのだろうか。
 子供の身長だと見上げる高さの目印だったが、届かなくてもお母さんが取って手渡してくれるはず。東京の冬はまだ先の先なのだけれども、手袋が手放せなくなる季節がやってくる前に、無事、持ち主の元に戻ることを願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?