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 昔「窮鼠」は「猫を噛」んだものだ。追い詰められると、躯体の大きさはネズミの比ではなく、切れ味鋭い爪をもつ猫に対しても、とんでもない反撃に出る。そのことを死ってか知らずか、同族のライオンは、ウサギを追うのにも全力を出す。窮兎ライオンを噛むなんて構図は、百獣の王のプライドが許さない。きっちり仕留めてみせる。野良ライオンの狩猟本能がそうさせるのだ。
 ところが昨今のネズミときたら、ジェリーの誕生以来知恵をつけてきたのか、一か八かの捨て身の猫噛みなどという暴挙に出たりはしない。身の安全を確保しつつ、相手をコテンパンに叩きのめす方法を考える。腕力で敵わない弱者はこのようにして、知恵で戦う術を身につけてきた。ライオンにしたってうかうかしてはいられないのだ。いつ何時、ウサギに鬼滅ならぬ獅子滅の刃で返り討ちにされるかわからない。
 人の世はこのようにして小国が自国を防衛してきた。日本の防衛費がGDPの2パーセントまで引き上げられようとしている。2022年初頭は1パーセントちょっとだったから、ほぼ倍増する計算だ。
 眠れる獅子や猫が目を見開き、威嚇が目に余るようになってきたことがそもそもの要因。相手が『トムとジェリー』のトムなら対抗策に尻尾を巻いて尻込みしてくれそうだけれど、リアルな相手はトムほど呑気ではない。昨今の危機は、緊張にしろ、菌やウィルスにしろ、気候変動にしろ、飢餓にしろ、丸く収める解決策を見いだせないまま迷走している。これは解のない数式なのか?
 人は考える葦。三人よらば絞り出せる文殊の知恵も、ひとりひとりが勝手にふるまうものだから、まとまるものもまとまらないーーそうした混沌状態から抜け出せなくなってしまったせいなのか?
 秋の夜長でも、思考の沼に耽溺するにはチト重すぎるテーマである。 


 

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