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欠いたモノを売る店。

 その小さな商店街には、空からひと抱えもある雫が降り立ったように毛色の違った露店がたつことがある。獲った鳥を売る小男が風呂敷を広げて降下してくることもあれば、白黒縞模様のトンネルを越えて時間を売りにくる老婆もいる。どんな灯が点っても、朝に咲くアサガオが昼には花弁を閉じるように、きっちり3日間の出張興行ののち、店をたたんでいく。
 
 開店のインターバルはまちまちで、忘れたころを見計らって顔を現すこともあれば、水色を一気呵成にお湯色に上塗りするように、息つく暇なく別のネオンが点ることもある。
 
 顔ぶれだけは決まっていたのに、その日、見慣れぬ淑女が店に立っていた。
「そのケンタッキーの布バッグ、もう終わりだから300円でいいわよ」
 口に含んだキセルから唇を離した間の取り方で、淑女は話したくもないわといったトーンで好奇の熱に水をかけてきた。売りたくないのか、接客が憂鬱なのかは計り知れなかったけれども、店に並べられた商品はさばききってしまいたいのだろう。アンニュイをかぶせる口調の片隅に、小さな焦りと尖った苛立ちを感じた。
「ほかにはどんなものが?」
 訊くと、見りゃわかるでしょ、とうんざりされるも、「いろいろありますよー」と淑女は気の抜けた風船を放つみたいに、それでも律儀に答えてくれた。
 
 たしかにいろいろある。海洋博の金と銀が欠けた銅メダル、夫婦茶碗の小さいほう、本体はなく充電器とイヤホンだけ残ったiPhoneケース。ほかにもあったが、その多くが『あるべき姿』を名残惜しむように、ケースに空席をつくっている。
 次、そして次と見ていくと、欠けたものの存在のほうが妙に気になり始めてきた。空欄になった金と銀のメダルのデザインや光沢、夫婦茶碗の大きいほう、手に取られ今でも使われているだろう型番知らずのiPhone○。
 この淑女は何を売りに来たのだろうと疑問で顔をあげると、今しがた勧められた布バックを手に取った買い物客に「もうおしまいだから100円でいいわよ」と話しかけていた。
 買い物客が渋い顔をした。値段ではない何かが気に入らなかったのだろう。買い物客はバッグを定位置に戻すと、いっときの気の迷いをぶるっと身震いで振り落とし、脱線したプラレールを元に戻すみたいにしてルーティンの買い物に帰っていった。
 
 また淑女の店主と2人きりになった。
「あのバッグ」と店主は口にした。後ろめたさを感じたことがわかった。「100円ね」と言葉少なめ、消え入りそうな小声で続けた。ほらね、と思った。思ったけど、余り物を押し付けられたみたいで気分が悪かった。100円でも売れないものに100円を出したくなかったという気持ちもある。
「要らなぁい」と答えた。

「これは?」
 100円単位の商品が並ぶ中、法外な値札のつく商品が並ぶ一角があった。5万2000円に4万8000円、もっと高価なものもある。
「作家さんの手作りアクセサリー」と店主は教えてくれた。「注文で作るんだけど、買い手が引き取らなかった作品」。
 消えた客、という言葉が頭の中で切り出された。まるでキセルの先から立ち昇る煙のような客。客は行方をくらませても、消えた客は消えた客としての存在感を増して頭に残った。
「いくつか売れたのよ」
 店主はこちらの思いになどおかまいなしに、高価なアクセサリーの売れ行きを話している。声のトーンには『売れた自負』みたいなものが滲んでいた。欠けたモノを売る者もあれば救う客もあるということかと感心しながらも、降って湧いたような三日天下の露店の商品に数万円の現金を支払う客がいることに驚いた。
「もちろんキャッシュで、でしょう?」
「クレジット、やってないから」
 衝動買いで数万円を置いていく客の存在だけでもショックなのに、キャッシュレスの時代、財布にそれだけの現金を備えている人がいるという現実は衝撃的だった。
「商品を確かめて、ポンとお金を払っていったわけでしょう?」
「そうよ」。少し言い淀んだように聞こえたのは耳の錯覚ではなかった。直後店主は「銀行に走った人もいたけれど」と申し訳なさそうに付け足した。
 
「銅メダル、6000円だけどどう?」と店主に勧められた。
 金と銀が空になったケースの中で、粛々と燻したような光沢を銅メダルは放っていた。
 銅メダル自体の価値は計り知れなかったけど、欠けているとわかっているものに6000円は出したくなかった。
「いくらなら買う?」と畳み込まれた。
 気の弱い客なら、5000円なら、と心にもない金額を口にしていたかもしれない。
「金額を言ったら買わなきゃならなくなる。衝動買いのルールに反することはしない」と返した。
 口車に乗らない性格が、たまに役に立つ。
 
 露店はあえて欠けたモノの「欠けた部分」を晒し、納得した者が客になる。
 購入者は、欠けていることを承知でお金を支払うのだ。
「また来ます」
 最終日の翌日には商品を総入れ替えするという店主にあてのない約束を残して店をあとにした帰り路、とぼとぼに歩調を合わせて露店で商品を買う客のことを考えた。商品と目があったその時に、恋が花咲くように衝動買いしてしまうこともあるだろう。だがそのような買い方を店主は望んでいないのではないか。買ってほしい客は、人生の長旅で欠き、憂い、乾き、切望したその刹那に劇的な出会いを果たして手を伸ばすーーそんな心にわだかまりを残してしまった人。
 
 現実味を欠いた想像が、露店を空想の雫に閉じ込めようとしている。

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