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文字もビジュアル?
紙の媒体では遊べない冒険も(とくに実用的な書籍なんかでは)、ネットでは仕事のしがらみがないから、いろんな悪巧みを模索する。
もちろん、極めているわけではない。
わ わ
ふ ふ
と、取るに足らない悪戯をせいいっぱい頭ん中に浮かべて、文字とじゃれているようなもん。
ふれるだけでシブキと引き換えにパチンとはじけるシャボン玉。消えてしまえば午後には忘れる程度の空転するジツリョクーー身の程の内側で戯れるひとり遊び。
それでも本人にしてみれば、閃きは衝撃で盲目なものだから「この表現、すごいんじゃね?」と、毎度毎度、悦に入る。
ところがだ。
たちまちのうちに独りよがりが露見する。
たいがい一晩寝かせりゃ、冷めちまう。
鉄は熱いうちに打つことで形を残すが、ジョーネツの熱さは熱いうちは盲目なものだから、打つ対象が見えちゃいない。いや、目を凝らしたって見えないかもしれぬ。最初から在りはしないものならば、目でとらえられるわけがない。
表現の評価にしらっとしたら、一から出直し。
幸い、セイシンが軽くできてるものだから、腰も軽く、立ち直りも早い。
気持ちが
す
と
ん
と落っこちたって、
上がれる。
這い↑
すぐに↑
秋の
つるべ
落
と
し
のごとく奈落に落ちても、滅入るだけの細やかさは持ち合わせてもいない。
手描きならもっと幅が広がる。
定規で引いたような直線文字、対する丸文字。
ゲジゲジ文字にピンピン文字。象形文字ふうなんてのもある。
心を素材に「愛」を描いたことがあったなあ。
こんなのも描いた。
オシゴトの合間に、読む、考える→書く、閃く→描くなんてことを几帳面にやってると、飽き性で天の邪鬼の悪い癖で、正道というもんにちょっっかい出したくなってくる。つい遊びたくなってしまう。
文字で遊ぶ。
文字はビジュアル。
豆粒みたいなアイデアでも、本人は至極真面目で描く自己満足は大きい。
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