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風の歌を聴け。

 都会にいても、足場をもたないはぐれた風が気まぐれに連れてくる山の緑を感じることがある。初夏の息吹は鼻歌に乗って、鼻孔をくすぐり耳に届く。

 風の歌うメロディは人の数にもまして多彩だ。身をひねり続ける小躍りの風もいれば、小川を真似たチロチロ歌う茶目もある。
 時に声を荒げるけれど、パイからすればそれは些事。ほとんどの者たちは囁きでできていて、遠雷ほど確かでなく、肌に息吹く程度で実体はなく、だからそれら控えめな部類に分類される風に気づく者は極々少数派とされている。
 素通りしていく風のなんと多いことか。

『風の歌を聴け』は、気づけない風だった。都会びとの押し合いへし合いが醸す大地の気圧の流動に、気圧され、紛れ、歌は完全にかき消されていた。3部続いた羊の物語の皮切りは、かくも静かな幕開けだった。一部、風に気がついた者だけが振り向いたにすぎなかった。
 だが彼らはその歌を、しかと耳にした。

 あまたの才能に溢れた文壇に落ちた新たな種が、ジャックが豆の木に連れられて天に昇るがごとくの破竹の勢いで社会の激流を遡るのは、もうしばらく先のこと。当時は名よりもタイトルが存在を顕し、書店の路頭に置かれたピンボールが気になって、寝て覚めても気がかりで、何日目かにとうとう手に取った。
 続編を先に読んだ。
 そして2作目から原点帰りの『風の歌を聴け』。
 
 装丁イラストは、羊三部作を引き受けた佐々木マキさんの手による幻想世界第一弾。ニュアンスは羊の生みの親が生まれた神戸を囁いている。
 だけど風は気まぐれで、寄り道のルートはでたらめで多彩だ。
 
 入り口たる表紙をトレースしてみた。旅の小径で拾った心象風景が内側から吹き上がってきて、描く手を導いた。
 このようにして出来上がったラフな模写は、函館というひっそりたたずむ港町に風を吹かせた。

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