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心が冷たくなった時に思うこと。

 心が固く冷たく凍えたら、鏡をのぞいてみるといい。
 反射ガラスの向こうからこっちを見つめるそのヒトミ、黒目の奥に灰色影がどろどろ騒いでいるのが見えるでしょ? そいつが心を凍らせた不吉の正体さ。

 そっとのぞいてみてごらん。見られること、観察されることを避けてた時分は見られまいと立ち居振舞っていたこの我が身、そんなワタシを鏡を越して凝視する。するとするすると絡まっていた糸がほどけてく。なぜ自分が落ち込んでいたのかの霧が晴れてくる。
 南のほうに商売うまくいかなくて、橋の上から川に入ろうと欄干に立った男がいた。川面は鏡だった。足下の逆さに移った男の姿。なぜだかヒトミばかりが気になって、気にし始めると次第に視界を占めてきて、「やっぱり」と思ったそうな。「腹減った」と踵を返したそうな。妻と子供とご飯を食べて、自分のためだけに生きているんじゃないと悟ったそうな。男の「生きよう!」は、以降、強くなった。

 心を固く冷たく凍らすものの正体見れば、見定めりゃ、そいつは尻尾を巻いて逃げていく。こんなばずじゃなかったと、すごすご舞台下手から去っていく。

 山あり谷ありの艱難辛苦の人生アルゴリズム、そこに気分曲線、感情波長が重なって、人は複雑に生きていく。

 神様は人に痛い思いをさせて育ててきた。ヤケドを負えばヤケドしないための知恵がつく。いいことも悪いことと同量を用意してるのに、人には苦味センサーを少しよぶんに与えたもうた。だから辛さが目につく、鼻につく。だけど安心していい。助さん格さんも歌っているではないか。人生苦もありゃ楽もある。苦労した分だけ楽がある。行って来いの同じ量だけ用意がある。いいことが起これば、悪いことも同じ量のエネルギーでやってくる。悪いことが起こったら、いいことが起こるまで待てばよい。ヤケドで痛い目に遭えば、次にはヤケドという苦の落とし穴にはまらぬ知恵がある。それは。陽水の歌ではないけれど「よいことだろう」。

 まだら模様の短し人生。道の途中に心苦しい霧中にはまったら、イケナイアイツを睨みつけてやるといい。見つかったと肝を冷やしたアイツは、すごすごと、すごすごと逃げていく。次に起こる「いいこと」を残して去っていく。

 人生に霧が出ても、あわててはいけない。霧はじき晴れる。


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