お上りさん。
夕暮れ間近、まだ夜は薄く、頭上の紺色に移りゆく青空に、まん丸の月浮かぶ。あんまり丸いので、月は微笑んでいるようだった。そんな月に見守られていた。
仕事で訪ねた街だとしたら、こんな余裕、生まれない。
低いビル群の向こうから重い雲が山のように競り上がってきて、内部に何かを含んでる。
ほらきた。雲の腹の中で時折り光るのは雷だ。
仕事で訪ねた街を歩いているさなかなら、たちまち折り畳み傘を取り出して、機能するかどうかを手で以って確かめて、羽を休めるホテルへの最短距離を足早に急いだに違いない。
ロンドンにしても博多にしても、仕事で訪ねるとお上りさんになることはない。仕事モードがオフィスの緊張感を維持継続させるせい。だけど、仕事というたがが外れると、予期せぬつむじ風に肝を冷やすみたいに無防備で、突発の出来事に前後左右悲喜交交が入り混じり、周囲をきょろきょろ、行くか戻るか狼狽えるように時間を使ってしまうのは、激流に立ち向かうもすぐに心を折り曲げるお上りさんになり下がってしまうせい。
どこかに遠くに行くのなら、プライベートに限る。仕事で訪ねてしまうと、せっかくのファースト・コンタクトの衝撃を逸してしまう。
時は金なり、仕事ならそう言った。だけど、仕事から離れた旅は、時は夢を叶えるものなり。舌に乗せ、食感を、味覚を存分に楽しむ。
私的旅行は、受け止める1秒ごとが愛おしい。
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