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ある医者の翳り。

 せっかく救った命でも、死刑を宣告されちゃあね。複雑な気分だよ。

 医者としての使命は果たしたさ。インフォームド・コンセントでは本人の意思を尊重するけど、意識のない重体からの救済は選択の余地なしの待ったなし。一命の存続に全神経を蘇生に向けて傾ける。
 それでも100パーセントの保証はできないよ。状況と状態と運に左右されることなんてざらにあるから。

 命がつながったとき、ほっとしたさ。よかったと胸を撫で下ろしたよ。救命は医者の勤めであり、着地すべき孤島だからね。

 命は救えた。だけど、救えたことに安堵はしても、判決はつながった命を断つことに傾いた。判決が下された時はきつかったなあ。重かったよ。着地した孤島をそのまま海の底に沈めてしまうんじゃないかと思われるくらいの重量がのしかかってきた。

 彼のやったことは確かに反社会的で許されることじゃない。
 生きてこの世に戻ってきたのは罪を償うためだったのだろうね。

 それでもね。
 医者としての命題と人間としての倫理観は別空間を飛び回るヤンチャな飛行体みたいに暴れまわってた。それぞれが身勝手で、どこにも着地しようとしないんだ。

 死刑が宣告されたけど、終わる日が来るまで生きていくってどういうことなんだろうって考えたよ。自分ごととしてシミュレーションしてみたら、行き着くところまで行き着いたところで気が狂いそうになった。
 だけどその後があって。突き抜けたら諦観が天空から幕のように降りてきて、覚悟めいたものを喉元まであげてきたんだ。
 だからといって、さあこれで覚悟ができた、死刑でも市警でもなんでもかかってきやがれ、とはならなかった。せっかく積み上げた覚悟も、蓄積の土台を恐ろしさが足元から掬っていったんだ。

 そもそも覚悟に土台なんてものはないんじゃないかな。恐怖は部屋の中にたまっていく塵とは違う。そこにあるから掃き出してしまえば一掃されるというものではなかった。
 死の恐怖はこびりついたシミのようなものだった。拭っても拭っても、1本何万円もするクリーナーでこすっても、こすった下地には依然としてシミがしっかり残っている。そんな頑固な汚れに覚悟をもって臨んだって、屁の役にもたたないことが、思考の果てまで辿り着いてからやっと理解することができた。
 覚悟はもともと曖昧なもので、躯体も精神も支えきることはできない。

 ただ大きく揺れ動いているだけ。あっちに傾き、こっちに傾き、倒れそうで倒れない囚われの振り子になっただけ。命の絶たれるその日まで、答えのない問いに右に左に揺れるだけ。



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