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老いらくの愛。

 やっぱ最後は、家族に向けたり達観から滲みでる寛容な愛じゃなく、もっと個人的で盲目的な、見苦しくもドキドする恋をしたいよね。フルコースの人生の最後のシメは、とびっきりのデザートで。
 そもそも愛とは継続的で、しなやかで、ゆるぎがなくて、まんまるまとまっているもので。それに対して恋というやつは、短絡的で、突発的で、持続性がなくて、ギザギザで。
 老いらく領域に達してから人を好きになることを、愛とは言わず恋というのは、長続きしないから。いやなに、年をとれば飽き性になるという意味ではない。老い先短い老齢の、惚れた腫れたの命はつま先だっても短くて、風前に灯した炎みたいなものだから。だからぱっと咲いて、ぱっと散る。

 散り際は潔く、ものの見事な散り際なのに、傍からは見苦しく見えるのは、老いに惚れた腫れたは不相応と、不謹慎そのものだと、世間がレッテル貼ってきたものだから。

 老いらくの恋愛は愛とは言わず恋とされるのは、老人の恋愛蔑視の風潮があるからなのさ。

 いいじゃない。老齢から恋や愛が始まったって。器は老いても、精神が少年少女であるならば、彼らは幸福の渦中にいられるわけだから。それに人生100年時代。始まってからが長い老いらくの愛、おおいにけっこうなことじゃない。

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