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自分の足で発つ。

 和の国の人たちは、みんな横一列で手を繋ぎ、右に倣えの足並み揃えてやってきたから、隣の芝生を気にするようになったんだ。
 だって、人と違っていてはイヤでしょう?

 魏の国の人たちが、「日本人は」で始まるよその国の人のブラックジョークに敏感過剰に反応するのも、我が国の人々への非難を他人事で済ませられないからなんだね。

 ん、素晴らしい団結力。連帯感!

 でもさ、いいじゃん、そろそろ繋いだ手を離しても。
 いやなに、隣人に冷たく当たれって言ってるわけじゃないんだよ。そっちの芝生が青くても、こっちは枯山水でいいじゃないってことなのさ。
 だって、よそンチの庭は未来永劫あなたんチの庭になるわけじゃなし、冷静に考えてみてよ、それ、もともと欲しい庭じゃない、でしょ?
 庭は青くあるべきだに右倣い! で青い庭をいっせいに目指しちゃうものだから、同じゴールになだれ込んじゃう。

 ねえ、どうして煽られてあくせくしなくちゃいけないのさ。

 そろそろさ、よそンチの庭をあーだこーだ言う前に、自分ちの庭を手入れしたらどうなんだい?

 自分チの庭と真摯に対峙していたら何が自分チらしさなのかが見えてくるから、自分のピントも、非難の焦点も合ってくる。すると、あら不思議。何を言われたって、感情噴火や焦燥感噴出その前に、微妙な差異が嗅ぎ分けられて、正論の反論スイッチ入るから。くすんだ嫉妬もしなくなるから。

 自分を持とうよ。自分の足でしっかり大地に踏ん張ろうよ。

 人間は考える葦。みんなで手を繋げば強風時、倒壊リスクを低減できるかもしれないけれど、しがらみがんじがらめの囚われじゃ、いつまでたっても好きなところへ行けないよ。人間の足は考えた先に向かうための羽ばたくための翼なんだ。

 自分の足で発つ!

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