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たったそれだけのことなのに。

 そういえば。
 調理も食後の後片づけも、数字を並べるみたいにして、段取っていく癖がついていた。いつからそうしてきたかは忘れたけれど、転換機があったことは間違いないだろう。だってそれまでは調理も整理も雑然としていたものだから。どこかの時点で、列車が切り替えのポイントを通過するみたいにして、数字を並べるように段取りはじめたんだ。
 数字を並べる、なんて表現すると、さも数学的な才能を鼻にかけたヤなヤツを連想されてしまいそうだけど、さもありなん。ルートだのコサイン、タンジェントだの、難しい専門用語はどうにか記憶のシワにしがみついてはいるけれど、薄っぺらな白紙と同じで、中身がない。器は残れど米櫃の中身は空っぽなワケさ。
 数学というより、むしろ足し算引き算止まりの算数に近く、もっと言えば超ド級の入門者向けパズルみたいなものかなあ。
 それでも出来上がりのゴール見据えて、調理の手順を考え、実行するのは楽しい。食事中は寡黙で夢中で、食べ終わったらパズルで洗う。調理器具や食器は出鱈目に洗っていくと、あとが大わらわ。とっ散らかって見苦しくも、そのあとに続く処理が大変になる。収集をつけにくくなるのだ。だから、最初に段取って、洗う順、洗い物を収める順を決めておかなければならない。洗ったあとの置き場は確保できているか、食器類を収めるのに充分なゆとりはあるか、その確認も怠ってはならない。食器や調理具の大きさを考慮に入れて、パズルを組み立てるのが王道の食後道。
 だがそれだけで納得してはならない。油汚れを落とす用と水洗いで済むものとが入り混じり、コトは複雑に絡まりあっている。
 角度を間違えて食器の底部に水がたまるようではいけない。すべてが段取りどおりに進み、予定していたとおりに順序よく綺麗に器類が並ぶと、見栄えばかりでなく水切れもよくなる。ミスさえ犯していなければ食器類は早く乾くし、整然と並べておけば食器棚に戻すのにも手間が減る。

 ゴールを見据えて調理し、しまうというパズル。たったそれだけのことを段取りするだけなのに、食前食後にリズムが出て心地よい。

 何もない白紙から考えるのは苦手だけど、「食べる」など必然の道筋が現れると、がぜん頭が回転しはじめる。日本が世界に誇った技術力向上の構図に似ているようにも思うけど、偉そうに言えるほど考えちゃいないとは思うけど、日本人って、そういった「与えられれば秀逸な結果を出す」ミンゾクなのでしょう? 違ったっけ?

 中には怠惰な日本人だっている。幾度となくそうした「面倒なことはあとまわし」ニンゲンとすれ違ってきたからわかるんだよね。だからといって怠惰を咎めるつもりはない。その人なりの生き方に口出しできるほど、偉かないから。自分が気持ちよければそれでよし。自分も、その人たちも。そう思って今日までやってきた。きっとこれからも変わることなく、他人はその人なりに気持ちのいいやり方で生きていけばいいし、振られたら自分流のやり方でやっていくだけ。

 今日もまた段取って食事を作り、夢中になって食べ、想像力で仕上がりを組み立て食器を洗った。洗い桶には、均衡よく並ぶよう段取ったとおり食器が並んでいる。気持ちいい。たったそれだけのことなのに。

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