ひとひらの雫。
桜のひとひらが落ちるのと、46億年分の一生と、どちらが短いだろう。答えの要らない問いに、はまった。
53歳で花と散った柔道界の星に、悼む声がじわり時間をかけて聞こえてくる。
声は、まだやまない。
繰り返し押し寄せてはくるものの、やってきた言葉は寿命を終えて次々と死んでいく。たむけられた花とともに、地に足をそろりと降ろして尽きていく。
人生に二度はない。念じた再放送が、悼む人々それぞれの上映館で粛々と流れていくだけだ。
名も、在りし日の姿も、記憶に刻まれている。
場違いな言葉が紛れ込んできた。
「ほら、あれ、あの転身した不届き者も確か同期だったよね」
ん?
今それ言う?
耳にすべきではないタイミングの言葉に寿命はない。即抹殺。ひとしおの波風はたたなかったよという顔をして、何も聞かなかったことにする。
不届きな言葉は、奥歯で音もなく噛み砕き、ごくんとひと飲み。
うな垂れてばかりもいられない。
垂れた首(こうべ)を上に向け、明日を見る。
その明日が今日になると、ひとひらはふたひらになり、みひらとなって、桜は終わっていくだろう。
時間は折りたたまれ、淀みのない深みに
ひ
ら
ひ
ら
と
落
ち
て
い
く。
一生の道のりのゴールはまだ見えない。見えそうな気配すらない。
地面に落ち着いたひとひらの花びらに見入って考えたこと。
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