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夕暮れ時の縁結び / ビアへるん ゆずフレッシュ | ニンカシの横顔

春の夕暮れはどうしてこうも美しいのだろう。
看板のライトを付けに店の外に出ると、ちょうどマジックアワーだった。風が強いからだろうか。いつもよりも空気が澄んでおり、薄紫色の光で見慣れた街の風景がより幻想的に、美しく輝いている。ふと目をやると、向かいの公園の桜の木が開花しはじめているのが見えた。

春の気配に胸をときめかせていると、突然一陣の強い風が吹き抜けた。慌てて腕で顔を覆う。
「……びっくりしたぁ」
風をやり過ごし顔を上げると、目と鼻の先に1人の男性が立っていた。
「ひっ!!」
(どっから現れた?!)
思わず変な声が漏れてしまう。しかし、男性はこちらの驚きっぷりなどまったく気にしていないように店の看板と外観をじろじろと見ていた。

「えっと、いらっしゃいま……」
「すみません、ここってクラフトビールのお店ですよね?」
わたしが話し終わる前に、質問を投げかけてくる。
「はい、国内外の多数のビールを取り揃えており……」
「あ、やっぱり。遠目で見てそうかなって思ったんですけど、あたりでしたね。自分クラフトビール好きでよく飲むんですよ。特に最近はアメリカのビールが好きで。あ~でもあれまだ日本に入ってきてないのかな。あ、ちょっと前にアメリカを旅してましてね。まぁ結果的にはクラフトビール旅行みたいになっちゃったんですけどね。あはは」
いきなりの弾丸トークに圧倒される。
「え、あぁ、はぁ、そうなんですね」
「じゃ、ちょっと中見させてもらいますね」

しばらく呆気にとられ、店内に入っていく男性の後ろ姿を見つめていた。
なかなかに強烈な人だ。
わたしは小さく深呼吸をして気合をいれる。
彼には一体どのようなビールが合うのだろう。わたしは店内で待っているビールたちを想像しながら、後を追うようにして急いで中へと戻った。

 男性は冷蔵庫の前で腕組みをしてビールたちを眺めていた。
「なにか気になるビールはございましたでしょうか。ここニンカシでは、物語と一緒に仕入れたビールを多数ご用意しております。お客様にあった一本をご提供することも可能ですので、お声がけくださいね」
男性は「あぁ。どうも」と前を向いたまま、あいまいに答えた。
「では、なにかあればお声がけくださいね」

にこりと愛想笑いをし立ち去ろうとすると、男性が勢いよく話し出した。
「このお店ってどちらかというと国内のビールメインなんですね。いま日本でも第三次でしたっけ、クラフトビールブームきてますもんね。自分結構前からクラフトビール飲んでるんですけどね、ほら第一次ビールブームってあったじゃないですか。あれって市場に出回っていたビールの多くが劣化していたらしいんですよ。小売店があまりクラフトビールの取り扱いってやつをわかっていなかったんですよね。って店員さんならそんな話当たり前に知ってるか。はは、自分気になることがあると、調べるのが止まらくなっちゃうんですよね。だから時々あふれ出ちゃうっていうのかなぁ。よく言われるんですよ、知識欲の塊だって。まあそのおかげて大学も日本一と言われているところにストレートで合格したんですけどね」

「あぁ、はぁ」
とにかく男性のおしゃべりは止まらない。
「でもほら僕ってやっぱり海外のビールの方が飲みなれちゃっているんですよね。舌が求めちゃうって感じかな。国でいったらアメリカなんですけどね。学生時代、車借りて一人でアメリカ大陸横断なんてやってみようと思ったんですけど、ほらやっぱり就活とか大事なんでまぁ辞めたんですけどね。海外に行こうと思ったきっかけは、大学の専攻で日本文学を研究していたからなんですよ。日本にどっぷりはまらざるをえなかったので、反動で外の世界に興味が湧いちゃって」
「あぁ、はぁ」
「あぁどのビールにしようかなぁ。あ、おすすめとか聞けます?」

(さっきのわたしの話聞いてなかったんかい!)

表情を変えないよう努力しながら、心の中で盛大に突っ込む。
「はい、もちろんです。ここニンカシでは、物語と一緒に仕入れたビールを多数ご用意しております。お客様にあった一本をご提供することも可能で……」
「あ、じゃあ店員さんのおすすめでお願いします。今日飲みたい気分なんですよね。そこのホテルでお見合いパーティーだったんですけど、もうぜっぜんダメ。なんでかマッチングしないんですよ。やっぱり僕自身の魅力を十分に伝えきれていないのが一番の問題なんだとは思うんですけどね。あまりしゃべりが得意な方じゃないんで」

(いや、しゃべりすぎってほどしゃべってますけど?!)
心の中でまたも突っ込みつつ、
「あぁそうだったんですね。やはり短い時間でご自分のことを伝えるのは難しいですもんね」
と相槌を打つ。冷蔵庫に映った自分の顔は、面白いくらいに機械的な笑顔をしていた。
「目標は1年以内に結婚することなんですよ。そのために結婚相談所にも登録しているし、婚活アプリも2つ使ってます。日々鍛錬っていうのかな、がんばってるんですけどね、まぁなかなかに難しいわけですよ。婚活氷河期ってやつなんですかね」

外見は悪いわけではない。清潔感もある。
でもこちらの話を聞かずに、食い気味に自分の話したいことをかぶせてくる。全身から溢れ出している「自分を知って!自分の話を聞いて!」というオーラ。これでは相手の女性も疲れてしまうに違いない。

(マッチングできないのも……無理はないだろうなぁ)
わたしは小さくため息をついた。

ニンカシでは、ビールたちの持つ物語や味とお客さんを重ね合わせ、最適な一本を選び出す。いつもはそのために目の前のお客さん自身のことを聞くのだが、今日はその必要はなさそうだった。
「それではおすすめの一本をお持ちしますね。もしよければここで飲むことも可能ですが」
「へぇ、いいですね。じゃあそれで」
「かしこまりました」
わたしは男性を角打ちスペースに案内すると、男性から受けとったイメージをひとつひとつ頭の中に思い浮かべた。
婚活 おしゃべり 人の話を聞かない 日本文学専攻 とにかくおしゃべり 自慢話ーー思わず苦笑してしまう。
(あのビールに、託してみるか)
冷蔵庫の前に移動をし、深呼吸を一つ。姿勢を正し一本のビールを取り出した。
キラキラと光沢のあるゆず色のラベルをなでる。
ビールの女神よ、彼に少しの気づきをお与えください。

 「お待たせしました」
テーブルの上にグラスを置く。通常はお客さんにラベルが見えるようにするのだが、今回は手のひらのほうにラベルを向け、ビール詳細が書かれた部分を覆うように持った。上部には男性の肖像画。立派な髭を蓄えている彼は、「まかせておけ」と頷いているように見える。
「これなんてビールですか?」
男性の問いには答えず、黙ってビールを注いだ。

グラスの中が少し濁りのある美しい黄金色で満たされ、それをなめらかできめ細かやな泡が覆っていく。注いだ側から搾りたてのゆずのような香りが広がった。
「すごい柑橘系の香りですね。あ、知ってます?味の判断の中で重点的に用いられるのって嗅覚なんですよ、味覚じゃなくて。これビアテイスターの講習で勉強したんですよね。あ、自分ビアテイスターの資格持ってるんですよね。マイナーな資格なんであまり認知度はないですけど……」
「ビアテイスターはわたしも持ってます」
にこりとグラスを男性の前に差し出す。
「どうぞまずは飲んでみてください。ビアテイスターは五感で感じることが大切、ですよね」
「……そうですね」

男性はちらりとラベルに目をやり、グラスを持ち上げた。目をつぶり香りを楽しんだ後、グッとグラスを煽る。大きく動く喉仏を見ていると、まるでゴクリという音が聞こえてくるようだった。
「おいしいですね……最初はドライなのに後から苦みと甘みが広がる」
男性は再びグラスに口をつける。
「日本のクラフトビールってあんまり飲んだことなかったですけど、これはまたいいですね。アメリカのパンチの強い味わいとはまた別の、なんていうんですか、日本らしいわびさびを感じさせる味わいというか」
「炭酸が強いので、飲んだ瞬間には味わいを感じにくいですが、余韻としてしっかりと果汁感やピールを思わせる苦み、あとは麦の甘みを感じられるかと思います」
「これは……柚子ですか?」
「はい、柚子をたっぷりと使用した『ビアへるん』というビールです」
「ビアへるん」

男性は再びグラスに口をつける。
「ということはこれは島根のビールですね。なるほどだから小泉八雲なわけですか」
「さすが!日本文学専攻されていらっしゃっただけありますね」
男性は少し照れくさそうに笑う。
「これくらい常識ですよ。ギリシャ生まれの小説家。日本、その中でも特に島根を愛し、自らを島根の旧国名「八雲立つ出雲国」に因んで「小泉八雲」と名乗る。島根の英語教師になる際、ファミリーネームをヘルンと表記され、本人もそれを気に入ったため、以降「ヘルン先生」と認知されるようになった。さっきラベルに小泉八雲が見えたとき、なぜだろうとおもったのですが、はは、そういうことですか。これはなかなかにおもしろい」
Wikiのようにすらすらと説明が出てくる。本当に知識の量は半端ではないのだろう。
「ビアへるんは、島根を愛したヘルン先生をモチーフにしたブランドです。小泉八雲と同じように島根を愛しているブルワリーなんですよ」
男性は答え合わせをするようにテーブルに置いた瓶を見ている。

「このビアへるんですが、島根の食材を使用し、島根の料理や風土にあったビールを追求し続けています。もうとにかく島根愛に溢れているんですよ。結果、島根愛に溢れたビールは世界に認められ、世界に愛されるようになりました」
「それは賞をとったということですか?」
「はい。定番ビールは軒並みワールドビアアワードで金賞を受賞しています」
男性は「どうりで」などと言いながら再度グラスを口に運んだ。ゆっくりと味わっているのだろう。口がもごもごと動く。
「確かに全体バランスがとてもいいですね。食事にもよく合いそうだ。これペアリングで焼き魚とか焼き鳥といった柚子をかけて食べる料理なんていいかもしれないですね。小泉八雲が愛したビフテキにもよく合いそうだ」
(伝えたいのは、そこじゃないんだけだけどなぁ)
思わず苦笑をしてしまう。わたしの仕事はクラフトビール達の持つ「物語」や「言葉」をお客さんに届けること。やはり彼にはもっと明確な言葉で伝える必要があるのかもしれない。

わたしはゆずへるんの泡が静かに弾ける様を見つめながら、伝えたい言葉を頭の中で思い浮かべた。
「彼らのビールの中で特に有名なのが「縁結麦酒スタウト」別名「えんむすび~る」です。ビールでつなぐ「縁結び」をキャッチフレーズとし、島根と世界を結ぶことを目標としたビアへるんのフラッグシップ商品でもあります」
「それ、おもしろいですね。絶賛婚活中の僕にぴったりじゃないですか?ひょっとしてそのビールを飲んだら「縁結びされる」的なことは……」
「ないですね」
ぴしゃりと言葉を遮る。
「まぁ、そうですよね。でも名前に「縁結び」とつけることで、世界と結ばれたという考え方もできるかもしれませんね。あ、そうかひょっとしたら僕に足りないものって「本気で婚活している」ということがわかる意気込みなのかもしれませんね。だとしたら……」

「わたしは」
再度強引にカットインしていく。
「わたしは、これは愛されることで愛されたビールなのだと思っています」
「はい?」
男性が腑に落ちない顔でこちらを見つめてくる。
「……愛されることで愛された?」
「はい。島根を深く知り、愛そうという気持ちがビアへるんの個性であり最大の魅力になっているんだと思います。人間関係においても自分のことを知ろう、愛そうとしてくれている人に対して好感を持ちますよね?」
「……え、そういう、もんなんですかね?」
「少なくともわたしは、自分のことを知りたいと思ってくれている人に魅力を感じます」
「……そうですか」
男性はグラスに目線を落す。
「僕は自分のことを知ってもらうことが、相手との関係構築する上で一番大切なのだと思っていました」
「それももちろん大切だとは思います。でも少しだけご自身のことを伝えすぎていらっしゃるのかもしれないですね」

わたしは少なくなったグラスに、残りのビールを注いだ。温度が少し上がったからだろう。先ほどよりもふうわりと柔らな香りがあたりを包み込む。
「ところで先ほどラベルを見ずに知らないビールを飲むのはいかがでしたか?」
「あぁ、ブラインドテイスティングみたいで面白かったですよ。未知への探求心っていうんですか?なるほどクラフトビールにはこういう楽しみ方もあるんだなと思いました。知った後にまたこうして飲むのも楽しい」
「たぶんその感覚なんだと思います。目の前のものがどんなものだろう、どんな味がするんだろうって想像しながら味わうってわくわくしますよね。わたしは詳細情報を詰め込んでから飲むよりも、まずは自分の直感で味わってからそのビール情報を知っていく方が好きです」

男性がハッとした表情をする。
「なるほどなるほどそういうことか」
しばらくもごもごと何事かを呟いていたが、グラスを手にすると一気にビールを飲み干した。
「なんだかわかったような気がします」
頬が少し蒸気している。
「今のこの感覚を整理したいので帰ります。お会計を」
「ありがとうございます。意中の方が見つかったらぜひご一緒に「えんむすび~る」飲みにきてください。ナイスアシストしますよ」

男性を見送って外に出ると日はとっぷりと暮れていた。
月の光に照らされて、咲き始めた桜が白く輝いている。風はいつのまにか収まり、気持ちの良い夜風が吹いていた。

*****

「今日はすごい発見をしてしまった」
帰りがけに購入したノートに今日のことをまとめていく。
「愛することで、愛される、か」
今までお見合いパーティーで出会った女性たちを思い出そうとしてみる。しかし、皆姿がぼやけてよく思い出せなかった。たしかに自分は目の前の人に対して一生懸命になるのではなく、自分を知ってもらうことにばかり気を取られていたのかもしれない。事実自分が話した内容はよく覚えていた。

いたたまれなくなり、ぼやぼやした姿の女性たちを振り払うように大きく頭を振り、購入してきたビアへるんを開けた。グラスに注ぐと、爽やかな香りが広がる。ゆっくりと飲みながら天井を見上げる。
ふと、店で出会った店員さんの姿が頭に浮かんだ。黒髪のショートカット。切れ長の大きな目が印象的な人。
「名前、聞かなかったな」
思い出したら少しだけ胸がざわついた。
今度またあのお店に行ったら聞いてみよう。
少しだけ開けた窓から入ってくる夜風が、ほてった頬に気持ちよかった。


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