無題

そうですね、その時僕は、深夜に偶然アイドルの番組を見ていたんですよ。シャワーから出てテレビをつけたら何気なくかかっていて、で、なんていうかな、あまりこうアイドルとかそういったものに興味はないんだけど、興味はないっていうか、イメージで言うと静謐さと対極にある喧騒っていうかな、まあ言葉遊び的に幻想って言ってもいいけれど、そういうものがあまり信仰の対象にはならないタチなものでね、まあそれはいいんだけど、その番組に手相の占い師の人が出てきて、選ばれて前に出てきた女の子の手に恐る恐る触ろうとしていたので、なんだかこう、ちょっと固唾を飲んで見守ってしまったと言うかな。占い師が一瞬テレビのこちら側を見たんですよね。まあ当然それはスタッフとかマネージャーとかそういう人物と目配せしたんだと思うけど、なんか奇妙にも目が合っちゃった気がして。で、フレディ・マーキュリーっていたじゃない、そう去年映画をやってた、クイーンの。あの人がライブ・エイドの「ボヘミアン・ラプソディー」って曲の途中にウインクをするんだけど、てっきりあれ、聴衆に向けてのウインクだとずっと思ってたのね、そしたら映画では、ライブ・エイドをテレビで見ているお母さんへのウインクだっていうことになっていてーーもしかしたら作劇上そういうことに「されていて」かもしれないけれどーーああ、テレビの向こう側とコミュニケーションを取ることも可能なんだなってそのとき思ったんですよね。まあもちろん、あのときあの瞬間にああいうことがなければ、そんな風に後から色々解釈したり記憶を重層化させてみたりすることもないのだけどね。僕も大学で学生さんたちに「9.10」の朝は覚えていますか?なんて聴くと案の定誰一人覚えていないわけ。でもそれが「9.11」になると、「ハムエッグのエッグの部分に虫が入った日だった」とか、「たまたま遅刻して、学校でそのことを知った」とか、克明に覚えているわけですよ。まあ僕たちの人生において真にオリジナルで信じるに足るなものなんて、僕の見解では自分の身体で経験したことだけだと思うんですよね。でもそれはある出来事、物語というフィルターを通すことではじめて他人と共有できるものになるっていうかな、えっ、全然悩み相談になってないって?そうですよね…。

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