サンドウィッチマンの技巧1

サンドウィッチマンのネタの「古典性」をあらためて強調したい。
その「古典性」とは、例えば「言い間違え」の多用に見られるある種のわかりやすさだったり、ネタの形式の真似しやすさといった要素を指す(もちろんその背後には、それをあの二人の声と間でやるということの真似できなさが潜んでいるのだが)。
今回は「観客の注意誘導」という観点から書いてみたい。
「深夜ラジオ」というコントで、伊達は深夜ラジオを聴きながら勉強している受験生。富澤はおかしなラジオパーソナリティという設定。
〔以下の引用はネタと一言一句同じというわけではなく大意〕

富澤「お便りです。「僕は子供の頃、ことわざの「壁に耳あり障子に目あり」を「メアリー」という女の人だと思ってました」」
伊達「ふふっ、面白ぇな」(クスリと笑う)
富澤「(大爆笑)」
伊達「え、どした? そんな面白いか」
富澤「「壁に耳あり」ってなんだよ」
伊達「そっち? 普通のことわざの部分だけど!」

ここでは観客全員の注意を一旦「メアリー=目あり」の方へ引きつけておいてから、「耳あり」の方へ落とす。見事だ。

これだけだと単にサンドの面白さをなぞっただけなので、この技法を使った他の例を探してみた。

例えばフローベールの小説『ボヴァリー夫人』の冒頭近く、新入生のシャルルが生徒に挨拶する場面。

「起立」と教師が言った。
新入生は起立し、帽子が落ちた。クラスじゅうがどっと笑った。

ここだけだとわかりにくいかもしれないが、この前の記述は、この帽子の細密描写であり、しかもフローベールは帽子を下から上へと舐めるように描写していく。そうやって読者の視線を下から上へと誘導しておいて、とどめの起立(↑)からの落下(↓)というわけだ。

視線誘導という技術は絵画でも日常的に用いられており、秋田麻早子『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』にはその実践例が数多く取り上げられていて興味深かった。例えば絵の四隅には、視線がそこから外へと逃げていかないための「ストッパー」が置いてある、などと言われたら、今すぐ実際の名画を見て確かめたくはならないだろうか?

お笑いはお笑い、小説は小説、というようなそれぞれのジャンルに閉じこもる楽しみ方も大事ではあるが、それぞれのジャンルでどのような表現や技巧がクロスオーバーしているかを見るのもまた一興だ。しかしそこに単なる通約可能性を見出して事足れりとするのではなく、最終的にはもう一巡して、そのジャンルにしか真に可能でない表現を探し出すことが最も肝要だと思う。

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