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ポップンミュージックに村を焼かれた人/矢澤豆太郎

「あさき」というコナミ所属のゲームミュージック作曲家がいる。このコラムを読みに来ている皆さんにとってはあまりにもお馴染みのコンポーザーで、今更語るにも及ばないかもしれない。

あさきはかれこれ20年ほどBEMANIシリーズの第一線で活躍しているアーティストだ。彼の人気はゲームミュージック作曲家という枠に留まらず、一種カルト的ですらあったと思う。私がまだBEMANIと出会ってすらいないいたいけなインターネットキッズだった頃からその名を目にすることがあった。

さて、いたいけなインターネットオタクキッズだった私は、当時のインターネットオタクキッズらしく二次創作を中心とした個人サイトのいくつかに出入りをしていた。特によく見ていたのがN天堂のゲームのファンアートや二次創作を扱った個人サイトで、掲示板で交流したり或いは一方的に作品を眺めるお気に入りのサイトがいくつもあった。
ところがある一定の時期から、サイトの管理人達がこぞってポップンミュージックの話をし始めた。更新されるイラストもポップンミュージック関連のものが増えていき、次第には「ポップンミュージック中心サイト」に知らない間に変わっている。N天堂どこいった!? ポップンミュージックって……なんや……!? 幼い私が初めて体験した「推し絵師のジャンル移動」、「ジャンルの村を他ジャンルに焼かれる」思い出がこれである。私はポップンミュージックに故郷の村を焼かれたのだ。この時目にしたのが、個人サイトの管理人たちがブログに書き残した「あさきの月光蝶 良い曲ですね」という言葉である。何故かみんながみんな「あさきの月光蝶良い曲ですね」と同じ言葉を書き残していた。恐らくee'MALL2ndがその時期だったのだと思われるが当時の私は知る由もない。あさきの月光蝶って何? あさきって誰よ! 誰よその女!!(※当時の私は何故かあさきを女性だと勝手に思い込んでいた)
兎にも角にもインターネットキッズだった私はその時ポップンミュージックに迎合するのではなく、「ポップンミュージックには絶対に屈しねえぞ……!」と決意したのである。

それから約3年後、高校生になった私はほぼ毎日ポップンミュージックで遊んでいた。屈しとるやないかい! 当時仲良くしてくれていたN天堂繋がりのフォロワーもポップンミュージックが好きで、遊び方や可愛いキャラクター、良い曲などをいろいろレクチャーしてくれたのである。始めは「ふーん……これが"あの"ポップンミュージックってヤツ……。お手並み拝見してあげようじゃないの……」という思惑で始めたのだが普通にめちゃくちゃ面白くて屈した。やはり大勢の人に評価されるコンテンツは面白いのだ。ひねくれた子供だった私もそれは認めるしか無かった。あさきの月光蝶はめちゃくちゃ良い曲だった。
当時は今の自分とは違ってギタドラやビートマニア等はプレーしておらずポップンミュージック一筋だったものの、とにかく様々な音楽ジャンルと出会えるのが新鮮で、ポップンミュージック以外にもBEMANIアーティストの個人アルバムなどを少しずつ集めていた。中でもあさきの「神曲」はやはりその独自の世界観が強烈でお気に入りだった。私はポップンミュージックにもあさきにも屈したのだ。
そんな高校時代、家庭用のゲームや漫画の話で盛り上がれるオタクの同級生の友人はそれなりにいたものの、残念ながらポップンミュージックの話で盛り上がれる友達はいなかった。田舎の学校で周りに建物がない(ゲームセンターどころの話ではなく、隣が牧場で本当に建物がない)ことに加え、アルバイトも禁止の学校だったので金銭面でもアーケードゲームというのは敷居が高かった。私はお昼ご飯代として渡される100円を昼飯を抜いてポップンミュージックに回していたが、そんな情熱を持っている人間はそもそも最初からポップンミュージックにハマっているのである。何も分からない友達に「昼飯抜いてポップンミュージックをせえ」とはさすがに言えない。サントラを貸すという選択肢もあったのだが、音楽の趣味が合う友達は相対性理論やELLEGARDENなどにハマっており、あさきの神曲はちょっと刺激が強い気がする……と思いなんとなく躊躇われた。
校風もあるのか、私の高校は比較的真面目で大人しい性質の子が多かった。だけどクラスに一人だけ、少しだけ目立つ「チャラ男路線」の男の子がいた。と言っても根は真面目な学校なのでチャラ男風の彼も少し髪を伸ばしているとかこっそりアルバイトをしているとかその程度の「チャラ」で、気さくで明るい性格なこともあり、わざわざ一緒に遊ぶという程では無いもののグループ学習や行事などで同じ班になればそれなりに楽しくお喋りをするような、そんな間柄だった。
お喋りをすれば楽しいけど私のような陰・キモ・オタクとは彼は明らかに違う人種だな……ゲームとも無縁そうだ……と日頃から思っていたのだが、ある日普段聞いている音楽の話になった時、彼の口から「あさきっていうV系?が最近気になる」という言葉が飛び出した。あさき? V系のあさきって多分私が知ってるあさきでは? 「そのあさきって月光蝶とか雫とかこの子の七つのお祝いにとかのあさき?」と尋ねると彼は驚きつつ、「え、なんで矢澤があさき知ってるの? 実はV系好きなの?」と……。
彼はあさきの楽曲が音楽ゲームの曲であることや、そもそもあさきがコナミの社員であるということすら知らなかった。己龍やムックの流れであさきに辿り着き、メジャーのバンドか何かだと思っていたのである。私が「神曲」を所持していることを話したら本当に驚いていた。陰・キモ・オタクの矢澤が自分の気になっているアーティストのアルバムを持っているなんてそりゃ驚くだろう。後日「神曲」を貸してあげたら大層喜んでいた。ちなみにそこから彼とめちゃくちゃ打ち解けて仲良くなったかと言われれば全然そんなことはなく、「たまに喋るクラスメイト」の関係性のまま卒業した。
だけどこの体験は未だに心に残っているくらい衝撃だった。ゲームミュージックだとかそうじゃないとかは関係なく、一人の音楽ファンの心にあさきの楽曲が響いていたこと。音楽ゲームの曲を通じて、違う趣味の人とも共通の話題で話が出来たこと。「音楽ゲームの楽曲が持つポテンシャル」を、私はこの時から今に至るまでずっと信じている。

そして私は大人になった今でも「あさきの月光蝶って何回聞いても改めて良い曲なんだよな……。」としみじみ噛み締め、日曜の午後を過ごすのであった。

おわり。



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書いた人:矢澤豆太郎
月刊オトモの編集長かもしれません。各ライター陣を脅して原稿を書かせている人とも言います。普段は札幌でアマチュア作家活動などもやってます。好きな音ゲーはポップンミュージックとギターフリークスですが、割とBEMANI全般を満遍なくやってるかも。

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次回の更新は1月7日(土)「機種連動のゆるふわ話 - 2013年生まれの場合/ぬのじ」の予定です。(※内容及びタイトルは変更になる場合があります)お楽しみに!