「子の無い人生」♦酒井順子 ②

本書の中で印象に残った箇所をいくつか。

「歩み寄り」
子を持つ女性と子ナシの女性。
ライフスタイルの変化によって疎遠になりがちだが、
ひととおり子育てが終わると、その縁は戻る場合があるということ。
これはとても希望が持てるお話。

「諦め時」
世間は「諦めない人」に対して厳しい、という。
以下抜粋。
『世間が望んでいるのは「健康な卵子を持つ若い女性がどんどん産んでくれること」であって、「卵子が老化した中年女性が頑張って一人、産む」ということに対しては、諸手を挙げて賛成する気配はありません。まだ、「何となく妊娠しちゃったヤンママ」が産む子供の方が、卵子が若い分いい、というムードも。』

これはキツイ・・・。
ほんとにそうなの?
いや、これは、不妊治療している当人も模索・葛藤していることなのよ。
人それぞれではあるが。
何の迷いもなく、高齢であっても「とにかく私は子供が欲しいの!この手に赤子を抱いてみたいの!だから迷いなんてありません。」
という人もいる。
対して、「やっぱり子供というのは授かりものだから、高齢という理由だけで不妊治療をして子供を作るということは正しいのだろうか?」と
葛藤する人も多いと思う。私は完全にこのクチ。
そんな迷い・葛藤もなんとかやり過ごし(ごまかし)、不妊治療を進めたが、迷いや不安は次々と溢れてくる。
「もし運よく子供が産まれても、自分は40を超えている。
そんな高齢で子供を産んで子供がかわいそうと思わないのかしら、なんてエゴイストなのかしら、と周囲に思われないだろうか。」とか。
高齢で産んだ子供は可哀そうな面もあると言えばあるし、卵子老化が理由で不妊治療をするということがエゴだということも重々承知している。この辺は何度も夫と話した。「私たちはエゴイストなんだ」と。
それでも、理屈抜きに「子供が欲しい」という気持ちがあるのだ。
なので、当人がこれだけ悩んでいるのに、周囲も同じことを考えているのだとしたら、とても辛い。


「クソ意地」

本書には〝クソ意地”という言葉が、私が確認した限り3か所出てくる。

『高齢出産をした人というのは「どうしても子供が欲しい」という非常に強い意志のもと、努力と財力を傾注した皆さん。元々、子供に対する愛が強くない私が、そんなクソ意地を出してまで妊娠への努力をするかといえば、そうではありません。』(P.29)

『少子化問題についていえば、「こんな時代なのに、クソ意地を出して子供を産んだ女性」よりも、「こんな時代だから、子供を産みたいのに産んでいない女性」の方がわかる原因というのも、私はあると思う。』(P.91)

『「子孫のために」というクソ意地が失われつつある日本は、これから様々な意味で、危険な時代を迎えるのかもしれません。」(P.176)

〝クソ意地”、ちょっと使い過ぎでは・・・?
最初は「ん?」と思いつつ、まあ、酒井さんのシニカルなユーモアのひとつよねと思って読み流しましたが、こう何度も出てくると「ただの言い回し」では片づけられなくなってしまった。

酒井さんの言う〝クソ意地”の意味がどうしても分からない。

率直に、「高齢出産はうんこみたいな意地なんですか?」と言いたくなってしまいました・・・。

おそらく、「並大抵でない努力や頑張りや信念」みたいなものを、称賛と少しの皮肉を込めて〝クソ意地”と表現したのかなと推測しているが、
ごめんなさい、不妊治療を辞めたばかりの身にとっては笑って受け流せませんでした。
別な言い方をすると、
「クソ意地」があっても、産めないときは産めない。
意地ではどうにもできないものが、妊娠というものにはある。
だから、世の女性たちは、意地でもって不妊治療や妊活や妊娠・出産をしているわけではないと思うのだ。


イ・ジョー






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