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ハッピーバースデーの憂鬱

2020年9月。私は50歳になった。

世間では、子持ちの50歳の女性ってどんな感じなのだろうか。漠然と考えてみる。

大きくなった子どもへの育児負担が軽くなり、自分のやりたい仕事を意欲的に行う女性もいるだろう。子どもから、自分たち夫婦のことへと目を向ける時間が増えて、老後資金問題に取り組む家庭もあると思う。中には早々に、おばあちゃんになっているケースだってあるだろう。

そんななか私の50歳はというと、まだまだ子どもたちに振り回されて自分のことどころではないのだ。子どもたちと同レベルで喧嘩をしたり、ガミガミと叱りつけたり小言を言い続けたりしている。高齢で出産した私は、周りの50歳の子持ち女性が10年以上前くらいにやっていたことを、今、やっているのだ。なんってったって、50歳なのに、子どもたちは二人ともまだ小学生なのだから。。。

幸か不幸か、自分が高齢であることによっての、所謂「ママ友」からのいじめだったり嫌がらせだったりを受けた覚えは一度もない。逆に、心優しく感じの良いママ友に囲まれて、子育ては楽しく行えている。これは本当に感謝すべきことであり、本音を言うと、こんな快適な子育て環境を得られるとは思っていなかった。長男のシシオを出産する時、夫のウシオと「高齢なんだからママ友はできないと思っていたほうがいいよね」と話していた。出産後ボッチで過ごす自分を想像していたのだ。初めから諦めていれば、本当にボッチだった時、諦めがつく(笑)そう思うことが正しいと感じていた。

子育て生活を10年送っているが、意外だったのは「母自身の年齢」よりも「子どもの年齢(学年)」の方が共感性が高いという点。子どもが同じ年齢・同じ学年というだけで会話は弾む。学校やクラス・先生、お勉強のこと、お友達関係、習い事、家庭内での生活の仕方、どんな場所にお出かけするか、どんなことに子どもは興味を持っているのか。そうして子ども同士のことが分かってきて母同士が仲よくなった頃、話題は大きく次のステップへと進む。それこそが、私が避けて通りたい【母自身の年齢】。この流れは、ほぼ、確実に、やってくる。私が避けたいと願えば願うほど、絶対と言っていいほど降りかかってくる質問なのだ。「ところで〇〇さん(私のこと)、何歳?」

ここで自分の年齢が近いママ同士は、より一層仲が深まる。声のトーンが一段も二段も上がり、まるで、旧友に会ったかの如く、自分たちの若かりし頃のきらびやかな話題へと移行してゆく。

私は残念ながら、自分と同じ年齢の母との遭遇はなく、基本的に周囲の母たちよりも5~10歳以上、一回り上なんてのもザラなので、周囲の母同士が盛り上がれば盛り上がるほど、一瞬、強くて太くて微動だにしない黒い線を引かれたような気分になる。他の母たちの流行っていたものが自分の時代のそれとは全く違うのだから、話が全く合わなくなってくるのだ。例えば、中学時代の制服のスカート丈を短くして、ルーズソックスを履いて、なんて話で盛り上がっている母たちの横で「私の時代はスカート丈は長くするのがイケてたな」と心の中で振り返っている。高齢出産の苦しみは、こんなところにもあるのだ。時代の流行話の大盛り上がりが一段落するまでは、ジッと耐えるのだ。笑顔で耐えるのだ。耐えてなんぼの世界なのだ!

45歳になった時「あー、今日からは【アラフォーだよ】って言えなくなるな」と、憂鬱な気分になったのを思い出した。そう、あの頃は年齢を聞かれた時に「私、アラフォーだよ」ってなんかうまくごまかしていたのだ。その後は【アラフィフ】と表現するのがためらわれて【40代】とごまかしていた。が、もはやその【40代】ともお別れの時がやってきたのである。

50歳。50代。

元気に毎日を過ごせて、一年無事に生活できて、そして新しく一つ年を重ねる誕生日。それはとてもありがたくて素晴らしいことに違いないのだが、私にとっては【憂鬱】になる時もある。誕生日とは、実に悩ましいものだ。

そして、私にとって、長年のもう一つの【憂鬱】は・・・

私のこの年齢を、シシオもヤギオも全く知らない、ということである。話さねばならない日を思うと、とてつもなく【憂鬱】なのだ。「ボクたちのお母さんって、すっごく年取っていたんだね」というショックを受けたらどうしようと、一人悩む、意外に乙女な母ちゃん、私、やってます。

(2020.09.12)


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