オーマイオフィス ~サウナ事件~

連日30度を超える夏日の中、会社では私の部屋にだけ冷房がない。
正確には、部屋にはクーラーが設置してあるが、故障していて稼働しない。

かつて、地元病院の女傑迫害に耐えられず亡命、いや退職してからというもの、書店で一年半バイト勤務していたが、そこにも冷房がなかった。

「冷房がない本屋なんて聞いたことないぞ!」
「やる気あるのか!」
「立ち読みもできない!」
客から幾多の罵声を浴びたことも、今では懐かしい。

一度は耐え兼ね、「あたしだって暑いんだ!」と言い返したところ、びっくりされ、一転して「気の毒だ」と同情されたことも。

また、見て見ぬふりをする会社の体質が頭に来て、マフィアの友達に依頼し、客のふりを装ってクレームの電話をかけてもらったことさえ記憶に煌めいたままだ。(電話の10日後、副店長は左遷)

脱水症状で倒れたことすら、今や夏休みの愉快な一場面として刻まれている。

思い出とはかくも美化される。


下流の子は下流というが、冷房のない子には冷房がないのだろう。
冷房がない家で育った子は涼しさを知らないので、暑いのを当たり前と思うようになる。
今日びの私は、書店勤務ですっかり猛暑内勤の耐性が培われており、「多少の暑さ、耐えて当然」のスローガンを盲目に掲げて働いていた。


「とまこさん!? 死んじゃうよ!」
背後から女性社員が私を呼ぶ声がした。

「こんな暑いところで仕事してたら倒れるよ、大丈夫!?」

心配には及ばない、昨年度の猛暑に耐えた我が鉄の根性はそう簡単に折れはせん。

「マダイケマスダイジョブヨ」

日本語が既に拙いけどだいじょうぶ、と指摘される始末だった。

「ひどいね…、冷房も買ってくれないなんて…」

この人は。
正社員なのに、莫大な燃料費、会議費を自己負担し、それでいて会社に対して尻をめくるようなことは一切せず、休日も返上して地域の為に貢献されている。
あなたの不当待遇に比べたら、私の我慢大会など、屁のようなものだ。

「マダナントカ」

精一杯の笑顔で私が取り繕うと、言葉に詰まって彼女は去って行った。
ドン引きするほど同情されたことを、私は空気で感じ取った。


あくる朝。太陽は人を殺しそうな勢いでじりじりと照っていた。
暑さのあまり、老婆の如く息も絶え絶えに出社。すると、代表が私の部屋のデスクに座って作業をしていた。

私の椅子には骨盤矯正用のクッションを敷いているのだが、重量のあるそいつが私のいない間にしょっちゅうそれに座るせいで、クッションが煎餅のようにぺたんこになっていく現象に、私は内心かなり怒っていた。それは、代表が冷房設備を整えてくれないこと以上に、頭にきていた。

彼は私がそこにいる事にも気づかぬほどPCに集中し、電話で誰かと緊迫気味に話していた。

邪魔をしてはいかん

こころ優しい私は、音を立てぬよう開いていた窓を締め切り、戸を閉め切り、おもてなしと心の中で呟き、しとやかに退室した。

それから涼しい部屋に移動し、暇つぶしがてら掃き清掃を始めた。
次に、水回りを激落ちくんで徹底的に磨いた。
そして、クイックルワイパーで上の階を掃除しにいった。
ついでだからとトイレ掃除もした。

一通り終えても、まだ代表は出てこなかった。そろそろ1時間が経過しようとしていた。


まだ音を上げないか


私は横目で部屋を一瞥した。



仕方がないので食器を磨くことにした。
そのときだった。

「ギャッ!」

女性社員の叫び声が聞こえた。

「代表!こんな暑いところで締め切ってたら倒れますよ!?」

私は勝利を目前に胸が躍った。
瞳孔全開で現場に駆けつけると、真っ赤な顔で、ワイシャツが濡れ、汗で髪がぺったんこに流れている代表が、強張った笑顔で骨盤矯正用クッションに座っていた。


「うわっ、何この部屋!蒸す!」

女性社員は蒸し部屋に不快感を顕にした。


「なんか、サウナみたいなんだよな、ここ」

無理やり爽やかな笑顔を作って代表はわざと不思議そうに訴えた。


「クーラーがないからですよ。」

私は謎を解いてやった。


「なるほどお」

代表は遠い目をして馬鹿みたいに納得したふりを演じた。瞼の上にまで汗の水滴が乗っていた。

「修理する予定、ないんですか?」

私は更に一歩前へ出た。

「直すものにも、いろいろと優先順位がありますので…。
そいじゃ出かけます!よろしくっ」
滝のように流るる汗をハンカチで拭い、茹でダコのようになったそいつは去って行った。


期待を捨てよう
やつと同じレベルに堕ちてはならぬ

私は骨盤矯正クッションにファブリーズを20回吹きかけて、心を鎮めた。

だが、神は私を見捨てなかった。

なんと昨日、マフィアの友人のお母さんが、ご実家で使用しないという扇風機を譲ってくれた。
今日の蒸し暑さを見ると、今日扇風機がなければ、危うく倒れるところであった。


下流の子は下流ではない。求めることをやめてはならない。
暑さとは、一線を通り越すと怒りとも錯覚する。そして、怒りを通り越した先にあるのは無の境地などではない。待っているのはただの脱水症状である。

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