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急遽、帝王切開になった話。

いやはや、この日記、
ゆかちゃんとの共通点探ししてるような感じになってきたな。
帝王切開、経験組でもあったね。
しつこいけど帝王って名前が良くないと思うんだよねー。
名前の由来は誤訳らしいよ。

語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/te/teiousekkai.html

私は次女妊娠中、
低置胎盤(前置胎盤よりはちょっこし胎盤の位置が上)
だったから帝王切開になるかも、とは言われてたけど
~かもよ?ってことは、まあ、可能性があるんだな位で、
あまり自分事として考えてなかったんだよね。
(前置胎盤は大量出血の可能性ありで経膣分娩にリスクあり)
5月が予定日だったけれど、
まあ、持ち前の呑気さで女将業をおっきなお腹でやってた3月に
東日本大震災。


あのときは、って遠い目になるけど
みんなが暗くなって心が荒んでたんだろうな。
計画停電で店の営業もままならず。
キャンドルナイトしたりしながら乗り越えてた矢先に
泥棒に三回入られて。ドアは壊され、
店の売上げは持って行かれて、
さらには社員が忽然と姿を消し。
(社員と泥棒は別人。泥棒逮捕されました。)
お腹がはってるかもなんて気にしてられないまま
4月になり。
生ぬるい風のふく深夜、寝ている最中に破水。

予定日1ヶ月前の私が入院準備できているわけもなく。
入院用のカバンに一番最初に入れたのが店の経理の書類と
電卓だった。
予定が狂うとはこのこと。
あわてて持ち物リストをチェックしながら荷造りして
夫を起こして長女の隣に寝てもらい、タクシーで病院へ。

経産婦なのに破水してから病院到着まで3時間。
「産まれてたらどーすんの!!」って助産師さんにめっちゃ怒られた。
陣痛がきてなかったので、そのまま夜を明かし
翌日、先生から「母胎の安全最優先で帝王切開にしましょう」と。

さらに大量出血の可能性ありとのことで
輸血のできる大きな病院へ搬送されることに。
救急車に揺られながら
(救急車ってなんであんなに揺れる?)
あぁ病院の食事が目当てだったのに、、、と
悲しくなったりして、このときはまだ余裕だった。


病院に到着。ドラマでありそうな救急現場。
テキパキ動く看護士さんたち。
手術の同意書やら誓約書やら結構な枚数の紙を渡され、
はい、これ読んでください。はい、これサインしてください。


意識がしっかりしてるので、
ここにきて心の準備が何も出来てない!って気づく。
体にメスが入るのはじめてだ!!と冷や汗。
実母がベビーカーに乗せて長女(当時1才11ヶ月)を連れてきてくれたけど
ストレッチャーで運ばれる寸前だった。
ベビーカーから降りてストレッチャーに
駆け寄ろうとうする娘。
「かか~あって(待って)~」と追い掛けるも
サーっと手術室へ運ばれていく私。
追いかけてくる娘の声、今でも覚えてる。
恥ずかしながらストレッチャーの上で泣きましたw
手術が失敗したら、もう娘に会えないのか?!なんて。
はい、悲劇のヒロインでした。

ところが手術室に入ってみたら
先生たちは慣れてるんだよね~
(当たり前w慣れてなかったら心配)
下半身麻酔だったから、
看護士「あ?お母さん三島で飲食店されてるの?」
医師 「なに、店やってるの?どこ?何屋?」
私  「風土って店で居酒屋です」
看護士「あ、私、行ったことありますよー
    先生のご自宅近いですよー」
なんて会話のなか手術開始でキョトン。
さっきまで私は何を泣いてたんでしょう。

そんなこんなで
予定日より1ヶ月早く、次女は私のお腹から出てきたのでした。
次女が5~6才になっても、ずっと私のへそを触らないと寝れなかったのは
もしかしてお腹の中に未練を残してきたからなのかもw

帝王切開もだけど
ここまで書いてみて、ほんとうに出産って
ドラマチック。(しかも主役は自分!)

まだまだ長文になっちゃうから今回はこの辺で。
つづく♡

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