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美味しんぼから学ぶ閉ざされた本物と開かれた偽物


おはようございます。Webライターのおとくです。

今日のマガジンはアニメ「美味しんぼ」の中から本物と偽物についてお話ししていこうと思います。まずは美味しんぼを知ってもらいましょう。

東西新聞文化部の記者である山岡士郎と栗田ゆう子は、同社創立100周年記念事業として「究極のメニュー」作りに取り組むことになった。しかし、ライバル紙の帝都新聞が、美食倶楽部を主宰する海原雄山の監修により「至高のメニュー」という企画を立ち上げた。

ここに「究極」対「至高」の、海原雄山と山岡士郎の間で繰り広げられる、料理を通じた親子対決が始まる!!(C)雁屋哲・花咲アキラ・小学館/シンエイ動画


小学館で連載されていた(現在は休載状態)雁屋哲原作の作品です。食という日本の文化を通じて、主人公の山岡士郎とその父、海原雄山の対決や料理法、食材の紹介をしてくれる作品が美味しんぼです。


本物と偽物とは


若干22歳の僕が本物と偽物について語ることなどないですが、一般的な考えからすると「本物=オリジナル」「偽物=パクリ」というイメージでしょうか。


ブランド物の本物と偽物というような具合ですね。


まぁ僕は小さい頃から苦手な食べ物も少なく、何を食べても美味しいと感じる便利な舌を持ち、高校までは野球部で質より量の生活、20歳を超えてもお金がなく本物と呼ばれるものに触れる機会は少なかったです。


美味しんぼという世界では、僕のような本物を知らない人間と、士郎や雄山のような本物を知っている人間も戦っているように僕は感じるのです。


「山岡士郎VS海原雄山」や「東西新聞VS帝都新聞」はもちろん「味の有識者VS無知な人々」という組み合わせにも注目すると面白いでしょう。


閉ざされた世界と、開かれた世界


美味しんぼという世界の中で士郎と雄山は仲違いをしているのですが、僕の中での士郎と雄山の違いはここにあります。両者食文化の追求という目的は同じはずですが、そこに至るまでの考え方の違いで対立していると考えて良いでしょう。いやぁ似た者親子ですね。


士郎=新聞社という開かれた世界で食の追求を行う

雄山=美食倶楽部という閉ざされた世界で食の追求を行う


まだ僕の中でどちらが正しいのか?という結論には至っていませんが、今回僕の中で出てきた考え方でまとめていきます。

開かれた本物を実現する困難


美味しんぼという世界では食がテーマになっている為、本物の料理=高価という現実が存在しますが、実際には高価ではなくとも本物と呼ばれるものは存在します。


そもそも本物と偽物の定義すら難しいですが、例えばB級グルメより料亭の料理が本物で、エコノミーよりファーストクラスが本物だと言うのなら開かれた本物の実現は難しいのでしょう。


海原雄山の運営している美食倶楽部では、会員の招待制・厳しい試験・数年に及ぶ待ち時間と「開かれた空間」と呼ぶには難しく極端に閉ざされた世界が構築されています。


それは確かな本物を形成する為の必要な処置なのかもしれませんね。


あとがき


美味しんぼでは食の世界にそってストーリーが展開していますが、僕はライターとして情報の世界にいきています。だからか開かれた偽物よりも閉ざされた本物という意識が強いのかもしれません。


SNSの情報より書籍の情報、現場で拾える情報、発信者の頭の中など、良質な情報を得ようとするほどクローズな部分に潜っていく必要があると感じています。


しかし、僕だけではなく情報発信者は皆、士郎に感情移入するでしょう。なぜなら自分の脳内にある思考をできるだけ新鮮な状態で誰かに届けることができれば、開かれた本物という理想を実現することができるからです。


ということで、今後ともインプットと思考、アウトプットを頑張っていきますので、応援お願いします。


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