男祭り・早稲田王・下駄っぱーず???
■はじめに
押忍押忍!!前回までは男祭りに深く関わる人物に話を聞いてきたぞ!
さて、栗山さんが4浪人している間に復活していた早稲田祭。
復活の経緯とは?同じ時期に誕生したものって??今回は早稲田祭が復活した時期の早稲田に焦点を当ててみるぞ!
■新・早稲田祭
阿部さんについての記事であったように、早稲田祭は1997年から2001年までの5年間開催されていない。なぜ開催されなかったのだろうか。
実は当時、学生運動がとても盛んで「革マル派」と呼ばれる人たちが非常に強い影響力を持っていたんだ。そして早稲田祭実行委員会が彼らの資金源になっているのでは、という疑惑が浮上したことで早稲田祭は中止に。
早稲田祭の中止は全国紙に取り上げられるほど注目されたらしい。
しかしここは早大生。早稲田祭への強い思いは挫けない。
2000年に早稲田祭の開催に向けた「新生早稲田祭したくスタッフ」が結成される。彼らは革マル派に関与させずに全く新しい早稲田祭を作ろうとした。
そして2002年、ついに「早稲田祭運営スタッフ」が発足し新しい早稲田祭が生まれたんだ!わっしょい!!!!
(2019年早稲田祭開幕の様子。やっぱり早稲田祭は最高!)
詳しく知りたい人はWASEADさんのこの記事を読んでくれ!
■早稲田王爆誕
男祭りと間違えられるランキング第一位の早稲田王決定戦(以下早稲田王)、みんなはもちろん知ってるよな?
早稲田王とは企画集団便利舎さんが運営を行う、早大生5万人の頂点を決める早稲田祭の名物企画のことだ!
去年は24店舗ものワセメシジャックもしてたみたい!
2020年のアツい戦いの様子はこちら
実は早稲田王は早稲田祭が復活した2002年に始まっているんだ!
なんと男祭りより2年先輩。兄貴だったんだ。
今はとにかく体を張った戦いで有名な早稲田王だが、当初は早稲田に関するクイズ大会だったらしい。全然違うじゃん…。
■下駄っぱーずも誕生
世界で唯一の"下駄を履いて踊る"ダンスサークル「下駄っぱーず」。
早稲田のパフォーマンスサークルの一つだ!見たことない人はまずこれを見てくれ!
確かに衣装も曲も素敵で踊りもかっこいいけど下駄っぱーずがどうしたんだと思ったそこのあなた!
実は下駄っぱーずは男祭りの行き別れの双子なんだ!
説明しよう。下駄っぱーずは2004年に早稲田祭運営スタッフ(以下運スタ)が考えた企画が原点となっている。
運スタの人が早稲田祭の本部企画で下駄でタップダンスをしたいと「Get Up!(=下駄っぷ)」を提案したのだ。
結果として本部企画でのお披露目は叶わなかったが、早稲田祭の前に行われる地球感謝祭で踊ることができた。
これをきっかけに、後にサークルとなり「下駄っぱーず」が誕生!!!
男祭りも、もともとは運スタ企画として提案された企画。
つまり年も、成立起源も一緒!
下駄っぱーずに全部キラキラ度を奪われたのかもしれないな。
このように早稲田祭運営スタッフを親に、いろいろな企画が生まれた時期だったんだ!
※インタビューなどによって時代を辿っているため全て諸説あります
■次回は
今日は男祭りが早稲田王が先輩、下駄っぱーずと双子だということがわかったな!あれ、でも肝心の男祭りの創設についてはまだ詳しく知らない…。
よし、次回男祭りの立ち上げについて紹介しよう!絶対見てくれよな!
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