決意表明 再び

もの書きになる。
音楽ライターとか映画の評論家とか定まった守備範囲はないけれど、もの書きになる。これは私の決意表明と、こう考えるまでの経緯だ。

小学生のときに作家になりたかった私の夢は、中学生のときには音楽ライターに変わっていた。当時ELLEGARDENからロックを聴き出し、アジカン、ストレイテナー、ハイエイタスと王道ロックを聴いていた私は、彼らの声を聞きたいという欲を満たしてくれるものとして、雑誌ロッキングオン ジャパンを読み出した。そしてライターの山崎洋一郎氏の文章に出会い、ガツンときた。アーティストを時に励まし評価し、一人の人(バンド)が作った作品を、その人のアーティスト人生の中で、あるいは時代の中でどのような意味を持つのかを言葉にする。憧れた。私がやりたい職業はこれだ。そこまで音楽に精通しているわけでもないのに、そう思った。

しかし、私にとって音楽は決してなくてはならないものではなく、日常にスパイスを与えてくれるだけの、必要になったら欲しいかな、というくらいのものだった。大学生になって対人関係や将来を悩む時間が減ってから、一気に音楽が必要なくなった。中高時代は音楽が好きだったという過去だけが残って、嗚呼、私は音楽にすがっていただけなんだ、と気がついた。

音楽を専門に書いていくことは無理だと思ったけれど、それでも書くことは好きで、ライターという仕事は諦めていなくて、2年前の夏に音楽ジャーナリスト養成講座に通った。そこで私はこんなことを書いている。

私が目指すライターは、対象を語ることで、その対象に新たな価値や意味を与えられるようなライターです。
音楽に問わず、絵画や彫刻、人が意図を持って作りあげるものは何でも、それを解釈して語る者がいることで、より豊かな文化に発展させていけると思っています。対象と対峙して湧きあがる感動、痛み、心の中を駆け巡る想い、パッと理由はわからないのに躍動する身体感覚などを言葉で表現することで、面白いものを世の中に広めていく存在になりたいです。
音楽に限って言うならば、音楽が掻き立てる人間の根源的な物語を解釈し、文章によって提示することで、音と詩だけで出来ている音楽芸術を、もっと面白いものへと変えていくことができると思います。現在はインターネットで皆が自由に考えを発信できる時代で 、さらにアーティスト自身が作品に込めた思いや意味を直接聞き手に発信する機会も多くなっています。しかしだからこそ、語ることを専門に仕事をしている人が、はっきりと何にどんな価値を見出すのかを言葉にし、アーティスト自身すら気がつかなかった作品の意味を見つけ出すことが大切だと思うのです。
私は文章を書くことが好きで、人の想像力や魂によって作られるものが好きです。語る対象が音楽でなくとも、心を動かすものを世の中に言葉で残していこうと思います。

2年前のこの気持ちは、今でも変わらない。

大学の英字新聞サークルでは、伝統を保っている、あるいは変えようとする職人さんや、新たなオモシロイことを広めようとしている人にインタビューをしてきた。会って話して、彼らの情熱ややりきれない思いを感じて、応援する気持ちで記事を書いてきた。私の文章の向く先は、不特定多数の読者というよりも、まずはインタビューをした本人に向いているのかもしれない。私が書くことで一番喜んでもらいたいのはインタビューをした本人だ。彼らの近いところまで迫っていって本人さえも言葉にならないことを言葉にして、私は「言葉にする」という持ち場から彼らの取り組みに加担したい。そして、彼らの思いを時間の中に残したい。

書きたいことの対象がものなのか人なのか、私の中ではあまり区別がないし、どちらかに限定はできない。結局のところ、人が魂込めて動いてできたものの中に入っていって、そこから原石のかけらをとってきて「ほら」って机の端っこに置くようなことをしたいのだ。ものだったらその原石には不特定多数の人々の記憶が詰まっているかもしれないし、人だったら「私も頑張らなきゃ」って思えるエネルギーが詰まっているかもしれない。

情報を伝えながら一つ一つ(一人一人)の物語を世の中に繋いでいく。そういうもの書きに、なりたい。



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