雑記805

どういう形にするかとかまだ構想が全くないのですが、ちょっとアタイが幼少期からなんか教えて貰った、オカルト系のお話なども交えて、最近世に出回ってるスピスピした話を物語に仕立てられないかと。

ネタ出しだけで土日を費やしたアリンコです。

いえね、アリンコの一人しかいないリア友に、たった一項目の事をサラーッと説明するだけで普段書いてる記事二本分文字打っても、結局通じなかったのよ、理解する気が本人にないからかもしれないけど。
その一方的に力説したんではなくて、あんまりにも、LINEのやり取りで出してくる割に、ワード自体も、多分意味も間違ってるんで、「ちょっと解説するわ」って、解説文打ってる間にもこれはもしかして事例みたいにお話作っちゃった方がわかりやすいのかも?と思いつつ。

今創作脳死んでるんでアレですけど、ネタは結構溜まってるなと。
なので、どれぐらい時間が掛かるかわかりませんが、五、六本お話作って、リア友に見て貰って(了承済み)、それで「なんかいけそうな気がするー」って思ったら何かの形にするかもしれません。

未定だらけの予告テロですが。

あの、友達は一人しかいないんですけど、春ぐらいから「最近私スピリチュアルにハマってるのー」って人が、急激に周囲に増えまして。
周囲の人の数は変動ないんで割合が増えてるというか、まぁそれで、余計な事は一切言わずに聞き手に徹してたら、「うーんんうふふふ」っていう、なんと、コメントしたものやら。
私の周囲だけかな、あの、ハマってるという割には、なんだろ、結果までの最短ルートを「それどこで聞いたの?」って、都合の良いとこだけを集めましたでも、まぁ精神論と宗教の間みたいなふわっとした感じでも、本人が「そうだ」と信じるのならそれでも構わないジャンルなんで、アリンコの言う事が正しいとも断言できないけど。

あんまり、ふわっとした感じになるからここで言及しないように気をつけてるけど。
なんかね、あの、凄惨な事故を例えに出すのもアレですけど、「何かわからないけどこれきっとすごいお宝だー」って、不発弾を持ち帰ろうとする現代の子供、みたいな印象になる時が、ある。あの、ごめんなさい。
あの、本当に好きで色々試してる人には本当にごめんなさい、あのー、ね、一緒にすんなと思われるかもしれませんが、謎物体を「これは良い」「これはダメ」と全て仕分けできないので、このたとえでいえば「不発弾とはそもそも何ぞや」という話からして、アンタが「お宝」と価値を見出す物は結局なんやねん、って分析していかないと、アタイみたいに専門家でも何でもない、おばはんは、「聞く耳」持ってる人にしか話出来ないんですよ。

結果「危ない危ない」っていうのにしか、ストップ掛けられないんで、「強迫観念に訴えかけるような話」ぐらいしか、ここでは注意喚起にすらならんレベルでたまぁに、書くぐらいですが。
これは良い、これはダメだ、これは良いって言われてるけど実はダメだ、って、情報が錯綜しとるやろ。
一回だけ、身内でしたけど「むしろそれは目的に向かって逆走してるで」ってのがあって、近しい身内ほど、私の話なんぞ聞きやしないんで。
あとはあの、「これが正しい」と信じたいんだろうな、でも自分も実は半信半疑だから、否定的な意見は聞きたくないでござるで、身内だと特に、お小言みたいなるから、拒絶反応が出てるとも思います。

やっぱりなんだ、末の従妹が、アホなんですが、私の若かりし頃にした話とかを覚えてて、情報源どこか忘れたけど、こういう事らしいよ、みたいな話をしたら、他のイトコとかうちの妹が「ええとこ取り」して、全然違う方向に走っちゃってる感が、あるんだ。
他のイトコは母方なんで、好きなようにすりゃ良いと思いますけど、うちの妹に関してだけはちょっとまずいんですが、本人が聞きたくねぇのならもう、それで良いかと。

自分のルーツも知らんで、何がスピリチュアルだい。

ルーツなんて知らんでも良いんですけど、父方がちょっと特殊家系なんで。
妹も若い頃に、なんか霊能者の人に「修行したら霊能者になれるよ」って言われて、霊能者の修行ってなんやろって訊かれたんですけど、私も霊能者ではないんで「知らん」で押し通しました。
向き不向きに個人差あるだけで、「修行」て仰々しい事せんでもなんぼでもやりようはあるんですけども、私が着地してないの見たらわかるやろ?楽して最短で、とか、そんな通信講座みたいなお手軽さで、なんか一本極められるとかそういうのは、ないんですよ。

まぁあの、占い師でも、心理学でも、動画見てて「信じたい」とか感情論抜きにして、妙に説得力ある人ってそれぞれいらっしゃるかと思います、興味あるのなら。
なんだこの正解のない話で謎の説得力あるの、と思って、プロフとか見てみたら、安易に「まぁ大変だ」と言えないレベルの、とんでもない過去があったりする、個人差ですけども。
敢えて最短ルートと記すなら、そこですね。
規模も個人差ですが、生きるか死ぬかぐらいの、きわきわまで一回追い詰められて、復活してきた人って、そりゃプロフとかに全部書かれてなくても、スピならスピ方向で復活したんだから、当たり前のように説得力もありますわ、経験則だもの。

あたしゃダメだね、まだ復活してない。

知識と実例を、多分普通の人よりは多く知ってるだけで、私自身、「復活出来たからこの方法をより多くの人に共有して、みんなを導こう」っていうポジションではないと思ってるので。
アリンコは、あの、「こんな素っ頓狂な生き物もいるぜ」の、私自身の事例紹介で、そこから何を感じるか、何も感じないかは、それぞれにお任せしてますが。
なんかの結果出してて「みんなも一緒にいきましょう!」って言える、結果もエネルギーもないからね。
どちらかというと、底辺に限りなく近い場所で「今、こういう状況でこんな事してますけどどうっすか?」って、実況やな。
どうっすか?って言われてもねぇ、どうとでも捉えて頂けると幸いです。

ただでも、ちょっと時代なのかたまたま私の周囲に増えたのか、スピ、好きな人が多いので、既存の物を極力否定せずに、興味ある人にだけ、「私はこういう話知ってるで」ぐらいにまで、発信できたらなと今現在「出来たら良いなぁ」ぐらいの、次元、具体的な事は考えてない。
アリンコはあの、マニュアルとかは無いので、良い悪いではなくて、こういう概念があるよ、ぐらいの、「やり方と結果だけ知りたいのよ!」の人には、何もお話しすることは無い。
危険だなと思う事に関しては、気まぐれに注意喚起未満で、リア友にでさえ「それは辞めとけ」ぐらいにしか言わないので、メリットデメリットと容量用法ぐらいしか、説明できん。

そもそも、リア友はスピには興味ないんだ。

なんかよくわからんけど、知人にこんな事誘われた、って話で、「ちょっと待て」という事が、リア友の周囲にも、多いみたいですけど、よくわからんままに参加しちゃう人なので、この先あと一年ぐらいは避けた方が良いことリストを作ったけども、既に三つぐらい該当してて、「予定」として決定してる分はただのリスク回避なんで無理にキャンセルする必要もないと追け加えました。
極論ね、本当に道を逸れるような危ない場合は、何かしらの妨害が入りますので。
妨害が入らないままパァンした時は、そこでパァンする必要があるケースなので、友人に関してはパァンしてしまった後で私のできる限りの事はしますよ。

私が自発的に動くのは、この世に二人だけな、あとは知らん。

だから、その該当した三つに関しては何かしらのトラブルで「どうする?辞めとく?」となった時だけ、選択する場面があるのなら辞めときなされ、と。
一回決まったことが振り出しに戻り掛けてる場合、妨害の可能性があるから。
リストに関してはここではというか、リア友にしか提示できませんよ、んなもん個人差あるんだから。
私自身もよく知ってる人しかわからんのよ、占い師でもないし。
父方の親戚に占い師いるけどさ、その人も「確実な事は何もわからん」って言っちゃってるし。

ここからは伝聞なんですが、自分自身と直接関与のあるごく身近な人に対してのみ、「悪い事」に関して百発百中の人がいたんだよ、私の曽祖母らしいんだけども。
その曽祖母も、危険が迫ったとしてギリギリの回避しか出来ないらしくて、時代背景として、土地は明かせないけど空襲とかで。
どうやったら助かるかの、一か八かの賭け、何もしないよりはマシっていう極限状態まで迂闊な「予知」はしなかったらしい。
娘が二人います、直感的に「確実に助かる方法」が一人分しかありません、って場面で、まだ子供の娘を強引にその一人分に捩じ込むっていう使い方、わかり辛いけど、そういう人だったそうです。

失せ物探しぐらいなら請け負うけど、人の命が関わる場面で「自分たちだけ助かり続ける」という選択をしていれば、どえらいしっぺ返しが来ると言ってたそうな。
意味はわかりますよ、というか私も、直感的に危機回避できたと思ったら、地味にただ痛いだけの怪我とかするので...反動なのか、帳尻合わせみたいなのは別の形でやって来る。
私がその、防衛本能みたいな反射だとすれば、曽祖母は「悪い事」自体は、数日前から知っていた口ぶりで。
でもそれを誰かに話してしまうと、何かが変わるのか、その状況が「来る」と事前に知っているだけで事が起きた、確定した段階での回避とか避難の道が見えるという、まぁアリンコが幼少期から何度か聞かされた「不思議な話」の中に、なんでそうなるのかとか、納得出来てしまう理由はあるんで、どこまでが事実かわからん物語にするのが妥当だろと判断してます、今は。

世界線が変わるとか、そういう理屈に近いけど、そういう事じゃないんだよ。

はっきりせんで申し訳ないんですが、そうだな、既存のスピでそういう概念はもうあるので、そこに合わせて言えることは、「悪いこと」とか「厄介ごと」、それが事件事故レベルのものであれ、スマホが失踪したとかであれ、起こるべくして起こったというよりは、そのタイミングで起きた事が実はベストなんですよ。
今回申し訳ない回ですが、自分だけを主軸に置くと、人生で起きる「悪いこと」の質と量の基準が元々定まってるとする、日頃の行いなどで増減しますが、最低限の数値はゼロではない、それをどのタイミングで消化するかという配分は、自分の意識で自在に操る事はできません。

小出し小出しに分散される方が良いのか、一気に山のように押し寄せて来るのがマシなのか、それは人それぞれでしょう。

生まれてから死ぬまでハッピーな人知ってるよ、って人は、バカ言っちゃダメよ。
これ私の話だけど、ちっちゃい時からピアノやってたから、とにかく指にダメージ負いそうな事を徹底的に避けてたのよ。
骨折の経験はないけど、顔面から地面に強打しようが、足が血だらけになろうが、怪我の耐性はあったのに、中学校の体育の授業でバレーボールやった時に、軽〜い突き指になって、「これ私ぬんじゃね?」と思うぐらい、痛かったっていう、個人差。

今の私の薬で緩和してる痛みを、健康状態に何の問題もない人が疑似体験したら、「お前なんで動けるんだ」ってなると思う、私自身動けない時期もあったんで、こりゃ十数年の慣れです。
かと思ったら「アリンコちゃん、新しいお薬よ!」みたいな事が、あると、二日間ぐらいは私は空を飛べるんじゃないかってぐらい体が軽くなって、どっかの不調が緩和された事で全てが解放された気分になるんでしょうが、二日しか保たんて、貴重な二日やで。

新しい薬があるのならと考えても、それ単に「このままだと動けなくなる、リスクを上げてももっと強い薬を」になってるだけなんで、ダメなのよ。
薬も相性があるんで、とんでもねぇ副作用の薬から、別のに切り替えます、の時しか喜べない。
痛みは軽減しますけど拒食過食状態になって鬱っぽくなります、っていうのも、それしか適合しない人はそれしか頼れないから、私はそれは避けられたんだけど、副作用が出るとしたら「体は楽になるますが頭痛が半端ないです」っていうのが、十年以上服用しても頭痛あんまり無いので、副作用出る人は「頭が内外から金属で叩かれてる」みたいな頭痛で片付けられない痛みが出るそうなので、それで動けないと何の為なのかわかんなくなるから、前述の副作用が拒食過食の方に偏りやすい、というのが十年ぐらい前の情報。

薬もスピリチュアルも同じですよ、並べちゃったよ。
相性ってもんがある、今はもう変わる事ないから見てないけど、この、処方される薬にも市販の風邪薬ほどではなくとも、色んな成分入ってるでしょ?それ、全部調べて、「ああ、これはこれに作用してこっちはこれか」と素人でもわかる程度でも、自分の身に何が起きてるのか知っておきたい派なんで、別の専門医に「これ飲んでます」ってはい、と薬出したところで、その医者も成分調べないと医者だから詳細知ってるとかは無いので。

ちょっと脱線するけど、薬剤師の資格の勉強に、薬学の専門用語と医療用語を両方知っておかなきゃからんルールがあるらしい、全部じゃなくて、薬剤師が知っておかなきゃならん用語にどっちもある、みたいな。

音楽もそうね、ドレミと、ちょっと突っ込むとコードと、ドイツ語の指示を読めんと話にならんので。
母方の伯父が、若い頃プロのギタリストだったんで、コードを知らないといかんターンの時に質問したら、「どういう指の配置」かしか知らん人で、コード進行とか知っててもそれを言葉では説明できないって、じゃあ弾いてよ、ってお願いして、音で覚えた部分もあったので私はラッキーですが。
これがフルートとかの管楽器になるとまた事情が変わってくると、結構ややこしい分野にいたみたいですが、慣れです。

子供達は私にピアノか歌を習おうとすると一応は元セミプロなんで叱られ、伯父にギター習うとキレられるという、これで授業料払わずになんか習得できるーって舐めた考えだとミーンミーンって泣くことになります。
ピアノもう弾けないんですけども、耳は生きてますので。
最後にやったのはアレだな、姪のエレクトーンに、すごい時間と手間かかったけど、メロディー以外の部分を、ヒィヒィ言いながら「紅蓮の弓矢」をぶち込んだぐらいだな。
そのエレクトーンも倉庫行きなんで、何なのよ、ですけども。
もう私の指は当時ほど動きはしません、サマバレもノーツ溢しまくりです、最近酷いのよ。

スピリチュアルもオカルトに通じるところはかなりありますが、自分が損得勘定なく信じられる道を、信じるのが良いかと思います。
ただし何事もそうですが、盲信して周囲の言う事が信じられなくなるのなら、それは一度立ち止まるタイミングなのかも知れません。
強迫観念に、と記してはいますが、それを推奨して来る人が悪いとも言い切れず、「これをやらないなんて損ですよ!」と本気で仰ってる方もいる、その人にはそう見えるんだ。
だから信じられる部分をチョイスして「良いトコどり」をするという選択も、間違ってはいない。

ただお料理で、体に良いものだけをとことん鍋にぶち込んで、美味しいご飯ができますか?

味がカオスな事になってしまえば本末転倒、正否、善悪、そうした枠組みを自分で定めずに、可能であるのなら一つずつ向き合って、自分で試して体感を人に説明出来るまでに発展させるところまで行くのが良いのでは無いかと...全然関係ないけど米食って一ヶ月過ごした方のお話を聞いてて改めて思いました。

勉強会、行きたかったなぁ

いけない理由の方があまりにも多すぎたので、最初から「無理だ」と判断し、主催側の発信や、来週には入って来るであろう参加者の方々のお話を楽しみにしつつ、いつか、また開催してくれるのならその時には行けるようになっていれば良いなぁと、残念な気持ちではありますけども、成功をお祈りしています。

私には「推し」の概念も、ファンとしての行動も何もしとりません。
その方からは勇気と、笑いと、楽しい時間と、知識と知恵と、自分の心はこんなに躍動的だったのだと一方的にお慕いしているだけで私は何も、していません。
行動のきっかけになる事は小さな事はいくつか、行動した結果芳しくない事になっても、何気ない一言で「ちょっと、私もやってみようかな」とそこから選択が生まれ、「自分の為に」という感覚がようやっと戻りつつある、私からすると不思議な人です。

それで思ったんですよ、何かを決め時に、なんか「損得勘定」がついて回るな、無意識にと。
アリンコは一応これでも病床の身ですので、その方の提唱されてる内容が100%該当するかと言えば、該当しないパターンの方が多いです。
でも今現在「目標とする部分を探してる」という状態で、盲信とまではいかないけど、これなら出来そうだなとハードルをかなり下げてでも、トライできるかも知れないと、片方向ではありますが、人や物事、言葉を信じられる人がいると言うのは、とても幸運だと思う。

あのファンですらないのかもしれないのは、私劇場まで行けないので、アニメ一本しか、何してる人なのか知らないのよ。

私も最近、ハートマークの数の多い記事と少ない記事の傾向がわからんので、そこの割り出しと同時に、動ける内は自分の知ってる事を、何かしらの形で発信できればと、思い始めてるんですよ。

まぁ宗教であれ、誰かの言葉であれ、何であれ、何がどう巡り巡って何に結びつくかわからないし、知らなくて良いとも思う。

そんなわけで、果たしてこの記事をよく見てくださる方が、スピに興味あるか、嫌いなのかすらわからない状況で、とりあえず「次に目指すところ」は漠然と見えてきたよというお話でした。

「皆さんが今進もうとしている道が穏やかでありますように」

今回は珍しく、おとなしめで締めようかと。
ちと水曜日が体力的な不安を抱えた用事があるので、今週も更新頻度は読めません。
いつも目を通してくださってる方、今日たまたたま見つけて下さった方、ここまでお読みいただきありがとうございます。

気が向いたらまた次回も、よろしくお願いします。


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