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子育て日記〜振り返ったらインターにいた〜

こんにちは
オトギリ草子です。仮名です。
今回は、どうして子ども達をインター(インターナショナルスクールの略)に通わせることになったのか・・を記したいと思います。

なんだか最近記憶力の低下が甚だしく
子育て振り返ると、あれ?昨日産んだよね?ってくらい
あら?私タイムマシーンに乗っちゃった?って乗った記憶もないくらいで。
で、振り返ったら思春期真っ只中の子ども達がいた・・
それくらい、詳細が吹っ飛んでいるので、
今回の記事は大まかに振り返って
その吹っ飛んでいる詳細を1つずつたぐり寄せたいと思います。
最後までお読みいただけたらとても嬉しいです。

アメリカで生活する・・・はずだった

私と夫は、共働き夫婦として結婚生活を始めました。
なかなか第一子を授かれなかったので、もしかしたらこのまま2人
の暮らしになるのかも・・と漠然と思っていました。なので、子供を授かれたら
こう育てたい・・とか、こんな教育を受けさせたい!など全く考えていない夫婦でした。
そんな中、夫のアメリカ転勤話、第一子妊娠がほぼ同時に判明。
こんなんで引っ越しの準備できるのか?
仕事の引き継ぎもしないと!
今まで自己研鑽に投資してきた私のキャリアはここで突然終了するのか?
アメリカの病院で出産?
産んだらすぐ歩かされるのか?(アメリカでの出産へのイメージ)
と、まあネガティブな感情の嵐。
それでも仕事の引き継ぎを済ませ退職。
部屋の片付けをしながら地球の歩き方NYを見つつ気分を盛り上げ
ようやく新しい生活にポジティブになれた頃あの兄弟はやってきたのです。

リーマンショックで私もショック

そう、その兄弟の名はリーマンブラザーズ。
彼らのおかげで夫の転勤話は延期。
自宅待機命令。
そんな自宅待機命令中に第一子誕生。
私は離職してしまったので、この頃から漠然といつ職に復帰するか、
いや、できるのか?と不安を抱え、保育園探しを始めたのでした。

待機児童にもなれなかった我が子

近所の保育園、少し離れたところの保育園、すごーーく離れたところにある保育園
どこに電話(当時は直接電話での問い合わせが主流でした)しても
かぶせ気味に「今待機していただいてもいつになったら順番回ってくるか分からない状態です。他を当たっていただく方が良いかと。とりあえず登録だけしますか?」
これ、定形文なの?ってくらい同じ返答。最後の「とりあえず登録しますか?」に関しては1つの園しか言ってもらえなかったほどでした。(結局ここから連絡あったのは1年半後!)

近所のインターナショナルプリスクールを見学

まだまだ自宅待機中。色々な意味で。
我が家の近所には幼稚園から高校まで一貫校のインターナショナルスクールがあります。その関係なのか、その幼稚園に入る前の年齢から通えるインターナショナルプリスクールがたくさんあります。
最初は特に本気でなかったのですが、3年保育に入る前はこういったところで遊ばせてもらうのも良い経験になるのかも・・と思い近所にあるインターナショナルプリスクールを見学に行きました。

その日のうちにインターナショナルプリスクールへの入学を決心

見学に行った日は、たまたまパーティーの日でした。
そのたまたまのパーティーに強く惹かれ、私たち夫婦はそのプリスクールに
子供を預けることを即決しました。
その心惹かれたパーティーとは、”United nations day celebration party”。
なんだそれ?
当時の私はそう思ってました。
このパーティーから私たち家族はインターナショナルスクール文化にどっぷり浸っていくことになります。
その時子どもは1歳3ヶ月。
長い長いインター生活の始まりでした。

そのパーティーの詳細は次回に。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。







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