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ちらし寿司クライシス

ユタカの実家で法要。次女のひかりがまだ小さな赤ん坊で手が離せなかったヨーコは、長女のこだまを代打に立てて出席させることにした。

こだま4歳のころ。

素直で手のかからなかったこだまは、母が来れなくとも文句も言わず、父とふたり静かに電車に揺られた。4歳児にはなかなか遠い、2時間近くの電車の旅だった。

ユタカの実家へ無事到着する。田舎の本家は、訪問客で溢れていた。小さなこだまを気遣う余裕はなく、法事の準備に動くたくさんの大人たち。人見知りで無口、名前を聞かれても答えられないような内気な子どもだったこだまは、そんな空気に圧倒された。朝家を出てヨーコと別れてから、道中の膨大な情報量と人の多さに飲み込まれ、人見知りメーターの針も振り切ったころ、ほぼ放心状態のこだまは、法事後の食事の席へと連れていかれた。

法事のごちそうはちらし寿司。よりによってこだまの苦手なメニューが、親戚縁者で賑わう宴席で振舞われた。「出されたものは残さず食べるのよ!」ヨーコの言葉がこだまの頭にコダマした(昭和のだじゃれ)。母の代わりに来たという使命感も手伝い、こだまは一心不乱に嫌いなちらし寿司を平らげた。

「ふぅ。。。」

なんとか平らげて、ほっと安心したところ、間髪開けずに「こだまちゃん、おかわりあるよ!」と、親戚のおばちゃんがすすめてくる。わかる、わかるよ、宴席でのおもてなし。たっぷり具の入った贅沢なちらし寿司を子供に食べさせたい!そんな気を利かせて勧めてくれたおばちゃんが、この日ほど恨めしかったことはなかった。こだまが断れずもじもじしているうちに、ちらし寿司第二便が運ばれてきた。「出されたものは残さず食べるのよ!」ヨーコの言葉が頭の中でリフレインする。

真剣勝負だ。こだまは覚悟を決めた。

無心となって、懸命にお寿司を口に押し込む。この動作を淡々と繰り返し、何とか食べ終える。すると、「おかわりまだあるよ~、食べる?」の声。どこからともなくやってきた別のおばちゃんは、空になった皿を見逃さなかった。「うぅ。。。」黙っていたか、それとも力なくうなずいたか。半ば意識がもうろうとしたこだまの前に、しばらくして第三便が運ばれてきた。当然無言でつめこみ制覇。盛り上がる宴席の喧噪の中、4歳児とちらし寿司の嵐のように激しい格闘はひっそりと幕を閉じた。

宴もたけなわの中、ちらし寿司との戦いを終えたこだまは、親戚縁者に別れを告げて父と共に駅へと向かった。乗り込んだ夕焼けに映えるえんじ色の近鉄電車は、今の時代では考えられないほど揺れた。人もまばらな車内には、誰も捉まらないつり革が空中ブランコのごとく同じリズムで一列になってスイングした。そんな中、揺れるつり革のシュールな映像と実際に揺れてる車両のせいで、食べたばかりのちらし寿司は無念にも車内へリターンしてしまった。そう、再びリターン。さらにリターン。

これまで「静」のひと文字だったこだまの行動は、いきなり「動」へと大展開。驚いて、車掌さんに「こどもが吐いてしまいまして」と伝えるユタカの姿と、自分がリターンした大量のおすし(だったもの)を呆然と見つめるこだまの心は放心状態にあった。ただ、お寿司を完全にリターンし切って、何かから解放された気分もあった。

ようやく家に着き、今日の顛末をヨーコに話すユタカ。「何やってるのぉ!こだまはちらし寿司が嫌いじゃないの!」「だって残さずに食べてたんだぞ、お代わりまでして」「言えないのよ、言えなかったのよ!んも~、あなたがついていながら、どうしてそんなことに、うんぬんかんぬん。。。」苦笑いする父、怒りおさまらぬ母、それを聞くともなく聞いているこだまの心は、、、再び静寂を取り戻していた。


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