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管理職はできません。辞退させてください。

私が30歳になる年のこと。上司に呼ばれて、私はそう言った。

断る理由があった。自信がないということも一つだが、大きな理由があった。

ただし、辞退の意を表したのも無かったことのようにあれよあれよと事が進み、気付いたら部下20人を束ねるリーダーになっていた。役職名としては、主任。

現在、私は夫の転勤によりその職場は退職しているけれど、その時の中間管理職となった激動と、はたまた成長の日々について綴ろうと思う。

やりたくない・できない言い訳を考え続けていた日々

やりたくない気持ちが大きかった私は主任になって何をすれば良いのか、どんな立ち位置で居ればいいのか検討もつかず、いつも気にかけてくれていた恩師(取締役)に相談した。

かえってきたアドバイスは
「あなたは、部下と○○さん(課長)の間のクッション的な存在になればいいんだよ」

クッションとはーーー

まず、私は人に興味がない。致命的。これが大きな理由。

人に興味がない私がどうやって20人を束ねて、クッション的な存在になればいいのか。。向いてないと思われる私には、押し付けられたようでただただ辛かった。昇進なんて全く嬉しくなかった。同期からの視線も痛かったし、「現状維持」がモットーだった私には試練以外のなにものでもなかった。


ただいつまでも嫌がっているわけにもいかない。辞令が出て、20名の前で意思表明の挨拶をしろと言われる。私は大人数の前で喋るのはすごくすごく苦手。

ちなみに、それなりの責任がつくということには何故か怖さはなかった。昇進する前から責任は負わされていたし、その部分での負担は特に感じていなかった。


とにかく、人との距離を縮めるにはどうすればいいか考えて、意識したことを書いていく。

人に興味を持つ

それまでの私は、体調が悪いメンバーに対してこちら側からそれを察するなんてことできなかった。

ならば、朝、誰かが顔色を悪くしていないか?いつもと違う様子はないか?挨拶や会話の声色やテンポはいつもと同じか?体調以外にも心に元気がなさそうな様子はないか、、部下の目を見て話すことに意識して話すようになった。

次に、業務量は半端なかったが、忙しいモード全開でいる私にも気軽に話しかけてもらいたいし、相談に乗ってもらいたい。

せめて、「今、お時間よろしいですか?」って話かけられた時は、キーボードを打つ手を止めて、その人の方に椅子ごと体を向けて話を聞くようにした。
(もちろん、『急ぎかな?急ぎじゃなければ10分後でもいい?終わったら○○さんの席に行くね』って後回しにさせてもらうこともあったのだけど)

そして、その人が椅子に座っていれば、私もその人と同じ目線の高さになるように座り、とにかく目を見て“あなたの話を全身で聞いてますよ”というのが相手にも伝わるように意識した。

絶対的にあなたの味方です!の気持ちを持った上で、注意だったり指導教育をしていく方が私の言葉にも柔らかさが付いてくる気がしていて、私自身にも自信が持てた。

とにかく些細なことを、褒める

メールがとても印象良いものだったり、資料が分かりやすいものだったり、それはもうとても大袈裟なくらいに褒めていたが、割と日常から「対応が丁寧かつスピーディで○○さんらしさが出ていてすごく良かった!」や「○○さんだからこそさっきのお客様は対応できたと思うし、その温かい雰囲気が出ている対応私は好きだよ」や、名前+良いと思った点(細かい事)を伝える様にしていた。

注意・指導しなければいけない時「ここをもっとこうするといいね。でもここはこうだったからすごく良かったよ!」という具合に絶対にポジティブな言葉でクローズできるように心がけていた。

それまで人に興味を持てなかった私は意識していくにつれ、人の変化に気付く事ができたり、人から頼ってもらえるような存在になっていった。

それは私自身すごく嬉しかったし、仕事が楽しいと感じるまでになっていた。

会社説明会での講話を頼まれるようになったり、トレーニングが会社一素晴らしいとお褒めの言葉をいただくようになったり、徐々にではあったが意識していることが周りの人に少なからず認めてもらえるようになっているのが自分でも分かる様になった。


実は、こっそり決めていた。

離職率がすごく高かった職場の中で

「私が在職中は、退職する人を作らない」

無理矢理退職させないというわけではないが、人間関係で悩んだり、上司と馬が合わず退職・・・という人を出したくなかった。モチベーション維持が難しく業務的にストレスを抱えやすい職場ではあったが、在職中それを達成することができた。


今となっては、目まぐるしい日々ではあったがとてもやりがいのある事を任せてもらえて感謝している。

退職した今でも、当時の部下から相談や報告の連絡がくる。それぞれが得意なジャンルを持っていてプロ意識が高くスペシャリスト、そんな人たちに恵まれたことは私の自慢。


もちろん向き不向きがあるが、人を育てる・チームをまとめることがこんなに難しくて、でも素敵なことだったなんて、断った時の私には想像できないだろうけど、人が、チームが、組織が私を育ててくれたんだなぁと思っている。


後書きのようなものです(2022.1.23)
この考えに至った大きな存在である上司との出会いについて書き綴っています。
https://note.com/oto2021oto/n/n3a780b29fa6c

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