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書く仕事をしていると、プライベートで物が書けなくなってしまうという話

自分の思考をnoteTwitterなどで勝手気ままにダラダラ垂れ流している私ですが、ありがたいことにお仕事として物を書く機会もいただけていまして。

近頃はAIを駆使したライティングもしているので、0から書くという機会は徐々に減ってはいるものの、月に何十時間かは何かしら書いています。


そんな日々を送っていてふと気づきました。
物を書く仕事が増えれば増えるほどプライベートの筆の進みが悪くなっている…。
なんなんでしょうかこの現象は。

元々私は感情や思考を言語化することにはまったく抵抗がありません。
それどころかむしろ定期的に外に出さないとストレスになってしまうほど。

そして、タイピングが大好き。
幼い頃からピアノをやっていたことも影響してか、パソコンのキーボードをリズミカルに叩いて自分の思考を可視化する行為が楽しくてしょうがないです。

プライベートのこういったエッセイに関しては、お酒片手に、お気に入りの音楽にノリながら、タイプライターさながら、キーボードを曲に合わせて叩いて文字にして楽しむというのが至高。
私にとってはそれが一種の息抜きとしての大切な時間でもありました。

し か し
最近は急にプライベートでの物書き(主にはこのnoteの更新)が捗らなくなてしまっています。

ここでいうプライベートでの書き物としては、LINEや友人への手紙、Twitteやnoteなどの私的な意見を発するもの、Filmarksやブクログなどの何かの感想文など、特に書かなくても誰も困らないが、私が書きたいものを意味しています。

以前はアニメや映画を見たらすぐにFilmarksに感想をアップしていたのですが、最近は溜めてしまっている…
そして、noteやTwitterの更新頻度もどんどん少なくなっています…

原因はなんなんでしょうか。
思考することも、物を書くことも心から好きです。
それは今も昔も変わりません。
なのに、なぜお仕事以外の筆がうまく進まないんでしょう…

先手を打っておくと、ネタも死ぬほどあるんです。
書きたいことは腐るほどあります。
もはや、鮮度を失ってしまって瀕死になりかけているネタが山ほど私のiPhoneのメモ帳に眠っています。

私は東海オンエアが好きで、よく見るのですが、彼らが言う「昨日まで生きてたネタが今朝死んでしまった」という言葉に心の底から共感しています。
※この発言の元動画を探そうとしたのですが、一向に見つからず…
ご存知の方ご教示くださいまし

そうなの、昨日まではピッチピチだったネタが今朝見たら死んじゃってるの!!!!!!
なんで!!!!!!!

そんな具合に、ネタ帳にネタを書き過ぎて、どういう経緯でこのネタを思いついたのか分からないというレベルには書きたいことは有り余っているんです。


それにもかかわらず、プライベートの筆が止まってしまっている理由。

………見切り発車で答えが見つからないままこの文章を打っているので、正直まだ落とし所が見えていません。
(現在一人でウィスキーロックを5杯ほど煽っていますが、きっとそれが原因ではないでしょう。そう信じたい)

一つ仮説として浮かぶのは、「文章を書く」という一連の行為に私が飽きてしまっているということ。

私は凝り性である一方で飽き性でもあります。
一つのことに凝ると、周りが呆れるほどそれを突き詰めます。
しかし、ある時糸がプツンと切れると、まるでそんな事象など最初からなかったかのように、一気に対象から興味を失い離れてしまいます。

そんなワガママな私は、近頃「文章を書く」という行為に面白さを見出せていないのかなと。
これを書いている最中ふと思いました。

もちろん、お仕事としていただいている案件に関しては、しっかり納期を守って、然るべきクオリティに仕上げて納品しています。
ビジネスパーソンとして、契約を結んで報酬をいただいている身として、当然の責務は果たしています。


となると、プライベートでそれができない理由はお金なんですかね。

現状、私がプライベートで何か文章を書いたとしても、それはお金にはなりません。

このnoteという媒体、うまく使えば収益化もできますし、実際収入源の一つとしてnoteを活用しているという人も最近ではよく聞きます。

しかしながら、現在の私にとってこのnoteは単なる趣味。
プライベートの私の思考を徒然なく文字にしただけのもの。
到底、誰かにお金を払って読んでいただくほどのクオリティではありません。

じゃあ、noteを収益化できるように戦略を打てばいいじゃないか、という声も聞こえてきそうですね。
私もそう思います。

しかし、そうなったらそうなったで、きっとnoteに関してますます意欲が湧かなくなる気がしています。

おそらく、現状お仕事の納期を守ってちゃんと納品できているのは、あくまでもそれが仕事だから。
責任が伴っているから。

そして、責任を果たせば必ず約束の対価をいただける。
例え私が納品した文章で、先方が期待した成果が上がらずとも、納品した時点で私は報酬をいただくことができる。

一方で、noteから得られる収益は変動します。
しかも、そもそも収益が得られる保証はどこにもありません。

そして、noteを収益化しようとすると、ある程度「稼げる文章」を書かなきゃいけなくなるはずなんですよね。
となると、現在のように、こんなふうにつらつらと、思うままに、酒の気の向くままに書いた文章を発信するわけにはいかないわけで…

なんて色々考えているうちに、やっぱりnoteを収益化するのは今は違うと思ったので、とりあえずはここは利益を度外視してただただ好きなことを好きなように書く場所にしたいなと思っています。

となると、noteの更新ができていないのは責任が伴っていないからで、お仕事同様にお金を絡ませて責任を発生させれば書けるようになるのではと、また振り出しに戻ってしまうのですが…
これに関してはもうイタチごっこなので、どうにか自分で受け入れたいと思います。


結局結論ってここまでで出てましたか?(笑)
随分飲み過ぎてしまったので、私もよくわかっていません。

でもなんだかんだで、このnoteは間も無く完成間近というところまで書けているので、また文章を書くという行為に面白さを見出せたのかもしれません。

これを書く少し前まで、お仕事でAIを使ったライティングを行なっていたので、0から自分の言葉を紡げるということが楽しいと思えたのかな。

だとしたら、ライティング自体がつまらなくなったというより、AIと一緒に行うライティングが好きではない、という結論にも結びつきそうだが…その結論を導き出すとお仕事が減ってしまいそうな気もするのでここまでにしておこうっと。

というわけで、(お酒の力を借りながらでしたが)久しぶりに自我全開の文章を書きました。

ちなみに、これは余談で、別のnoteでも書きたいと思っていたテーマですが、私にとってお酒は思考を切り替えるスイッチでもあるんですよね。

普段の私は、自分で言うのもなんですが、真面目過ぎるほど真面目なので、かえってうまくnoteが書けない。
うまく書こうとするから書けないんです。
しかし、お酒を飲むと、否が応でも頭が緩くなってしまうので、真面目に思考するという行為を放棄せざるをえなくなってしまう。

だからこそ、ほろ酔い状態で書くnoteは、くだらない内容をつらつらと楽しく書けるし、意図せずとも潜在的に抱えている本音が溢れる。
一種の照れ隠しなんですかね。
「あくまでも私はこれを飲酒状態で書いてますよ」っていう。
予防線を張れますからね。

なんて、これ以上考えすぎると、酔いが醒めた私が後悔しそうなので、ここまでにしておきましょう。




飲みすぎました。




たった120文字のTwitterですら、メンタルがやられているかつ義務ではないとなった途端に、自己表現が億劫になってしまう私なので、字数制限のないnoteに関しては、制限がないことが逆に足枷になって今後も更新が滞ってしまいそうなのですが…
自分が生きた一つの軌跡として、今後も気ままに思考を言語化していこうと思っております。



駄文乱文拙文ではありますが、ここまでこのnoteを読んでくださった皆様の心に何かしらの感情を与えられていますように。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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