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SNS復活大作戦

SNSとの付き合い方が難しい。

オフィシャルのアカウントでは主に作品を載せていて、アーティストのInstagramはポートフォリオ的な使い方が一番綺麗だろうなーと思ってきた。

でも考えたことを誰かに話してみたいな、誰かに見て欲しいな、それで何かまた新しいことが生まれたら楽しいだろうな、と最近また本来のSNSの使い方をしてみたい気持ちが出てきた。

今まではそれが「自己承認欲求」で、汚い気持ちなんじゃないかと思っていて、私のアカウントをフォローして見に来てくれる人は

①クライアントまた仕事関係の人
②絵を楽しみにしてる人

であって、個人的な私生活には全く興味がないんじゃないか、オシャレじゃないことを発信することは受け入れられないんじゃないかと、作品発表や活動報告以外での発信に居心地の悪さを感じて個人的な発言をできないでいた。

作品を作らなくなってから尚更ひどくなり
「じゃあ私は何のためにアカウントを持っているんだろう?」

と考えるようになり本格的にSNS発信の仕方がわからなくなった。実体のない何かに「大して情報もないのに更新するなんてそんなにいいねが欲しいか?アンタSNS中毒の承認欲求お化けだよ!」と言われてるような強い呪いに怯えた。

最近気付いたのは「この呪い、何やら自分とかけ離れた完璧な誰かを演じようとしているな!」ということだった。
何か人に価値を与える人物でなければ発信をしてはいけない、完璧でなければ無価値、と「そのままの自分であることが受け入れられないモード」に陥っていた。他人に対しては全くそんな風に思わないのに、とてもしんどい心持ちだと思う。

そんな流れを経て、今はまたSNSを使ってみたいなと思い始めている。
「また外に向かって動いていきたい」という自分の中での心の開きを感じる。

しばらくSNSから離れたことで、ただ他の誰かと交流してみたいなというプリミティブな欲求が出てきた。それから30歳までに〇〇にしたい!という自分の妄想が最近むくむくと湧いてきて、それに向けて動くにはまだまだやらないといけないことも山積みで、考えを深めることが必要不可欠で、発信していく作業は外せないと思う。

人に見せる作業を繰り返すことで得られるフィードバックがたくさんあるはず!だと思う。それに、今ここにいる何者でもない26歳の自分から、目指しているかっこいいアーティストになるまでの過程をジャーナルしておけたら何か面白いかもしれない。

一つ注意することとしては、「何かのために」は一旦置いて自分が面白そうだからやってみるの姿勢でいること。

いいねの数やリアクションを気にせずとにかく発信に徹したい。もしかしたらいつかどこかの誰かにとって役立つ日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。考えて発信したいう目的が果たせたらそれでOKとする。

そんなわけで、本来の何者でもない自分自身と、表に見せたい見栄っ張り張りの人物像との距離をなるべく近づける作業としてSNSで訓練してみたい。Twitterはまだ難しくて、Instagramもまだ微妙だけどひとまずnoteで色々書いてみます。楽しくなれたらいいな!

p.s サムネイルは最近雪が積もったとき撮った団地の庭の写真。大阪で積もるくらい雪が降るなんて!と感激しました。

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