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浄土宗のお歌の心を味わう「吉水流詠唱」

はじめに

御詠歌(ごえいか)って聞いた事がありますか?
端的に言うと「仏教音楽」の一つです。日本の仏教には多くの宗派がありますが、各宗派毎に宗祖や高僧の残した五・七・五・七・七の和歌や七五調の詞にメロディを付けたものの総称であります。

各宗派で「〇〇流御詠歌」という流派がありますが、浄土宗では「吉水流詠唱(よしみずりゅうえいしょう)」と呼びます。浄土宗のみ教えだけでなく、仏教のみ教え、お彼岸やお盆など日本の仏教行事など、それらの行事の由来や意味合いを「お歌」を通じて理解できる方法があるのです。「吉水流詠唱」には約100曲ほどお歌があります。「吉水流詠唱」を少し紐解いてみます。

吉水流詠唱とは?

吉水流詠唱とは、浄土宗の制定した詠歌、和讃及び舞をいいます。

元禄年間(1688-1704)以後の時期に西国三十三か所観音霊場や四国八十八か所霊場の巡礼が流行しました。その際に巡礼者は霊場を巡拝し、その霊場の「御詠歌」を唱えるようになったのです。浄土宗にもその流れは波及し、「円光大師(法然上人)二十五霊場」として霊場が制定され、各霊場には御詠歌が当てられました。

この吉水流詠唱は戦後に発足しました。戦後の人々の心に浄土宗のお念仏の教え、法然上人の教えをお歌に乗せてより分かりやすく、親しみやすいようにと考案され、今日まで伝わっております。

1、詠歌
法然上人が作られた和歌(五七五七七)に節付けされた曲調です。ほとんどが法然上人御作の和歌をお唱えしていますが、お念仏の教えを説かれ、導かれた高僧のお歌もお唱えしています。

御詠歌の例として浄土宗の宗歌「月かげ」

2、和讃
和讃は七五調の歌詞に節付けしたものです。浄土宗の年中行事、たとえば御忌(ぎょき)、お彼岸、十(じゅう)夜(や)法要を中心に、行事の意味をあきらかにし、法要をより十分に味わうために作詩されています。

和讃の例として「法然上人御忌和讃」

3、舞
舞は、洋舞、日本舞があります。どれもお歌の心を動作の上に表現して、自分自身が身体全体を通じて仏を賛美し、供養する喜びを表すのです。

舞の例として「池の水の御詠歌」 

「吉水流詠唱」の特徴 

「吉水流詠唱」のほとんどの曲は五声音階で表現されています。“五声音階”または、“ヨナ抜き音階”というものを聞いたことがありますか?日本人には昔から馴染みのあるものであります。

昔は、「ドレミファソラシド」を「ヒフミヨイムナヒ」と読んでいました。「ヒフミヨイムナヒ」の4番目の「ヨ」と7番目の「ナ」を抜いた音階「ヒフミイムヒ」のことを”ヨナ抜き音階”といいます。

つまり、西洋音楽の長音階「ドレミファソラシド」にこれを当てはめると、4番目は「ファ」、7番目は「シ」になるので、「ドレミソラ」ということになります。

日本の唱歌や童謡はほとんど”ヨナ抜き音階”で作られており、我々が幼いころから自然と耳にしているメロディなのです。

日本の国歌である「君が代」もそうですし、歌謡曲でいうと、
『春よ、来い』/ 松任谷由実
『千本桜』/ 和楽器バンド
『恋』/ 星野源
『パプリカ』/ 米津玄師 などなど
これらも“ヨナ抜き”の歌なのであります。
改めて聞いてみると聞きやすいメロディですね。

私は様々な法務の際には「吉水流詠唱」の各お歌をおとなえし、そのお歌をもとにご法話をさせていただきます。
初めて耳にする方も、なんだか懐かしいメロディだと感想をいただくことも多く、1番から複数番まであるお歌では、初見なのに途中からお参りの方も一緒に声を出して下さったり、大変尊いことであります。
仏事を僧侶だけが勤めるのではなく、僧侶も参詣の方も僧俗一体となって大切な仏事を勤めることができるのであります。

「吉水流詠唱」は各お歌の『心』を大切にいたします。 声の良し悪し、音程が正しい間違っている、ことよりも浄土宗の様々なお歌の『心』を通じてこの私が“南無阿弥陀仏のお念仏”をとなえることができるかが大切であります。

仏心を求める心

「仏心とはこれ大慈悲なり」という言葉が仏典にでてまいります。仏教における大切なことは、全てのものや人々に対する“思いやりの心”ではないでしょうか。これを仏教用語では「慈悲」と言います。“ともに喜び、ともに悲しむ”これができれば分かち合う喜びは二倍になり、悲しみは半分になりましょう。

しかし我々の心はいつもそうではありません。自分目線で自分優先に物事を考えたり、他人が喜んでいると、妬みの心をもち腹を立てたり、心の中の鬼が悪さをして、「煩悩」という心の垢がたまってしまいます。

仏教ではそのような愚かな自分の心に気付かせるため、克服するために様々な修行があります。その中の一つとして浄土宗にはこの「吉水流詠唱」があるのです。

仏教は死んだあとのための宗教ではありません。その字の通り、「仏の教え」であり、「仏になるための教え」です。

浄土宗としましては煩悩に苦しむ我々ですが、そんな愚かな私もその身そのままに「南無阿弥陀仏」とお念仏をおとなえし、六道輪廻の迷いの世界から離れ、阿弥陀如来様がおられる西方極楽浄土に往生させていただくことを願う教えです。そのお念仏をとなえる我々の励みとして「詠唱」は大切なものであります。

「吉水流詠唱」は僧侶だけでなく、一般の皆様も気軽に行える、僧俗ともに気持ちを一つにすることが叶う立派な仏道修行です。一緒に楽しく「吉水流詠唱」を学んでみませんか?お問い合わせは下記まで。


浄土宗 弘願院(ぐがんいん) 住職 森岡 達圭
〒921-8031 石川県金沢市野町1-3-87
guganin.jodo@gmail.com
遠方の方でもLINEのビデオ通話やZOOMでも一緒に学ばせていただきます。気軽にお問い合わせください。

弘願院の詠唱に関する新しい取り組み
「写詠歌・写和讃」

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