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浄土宗のお歌の心を味わう「法然上人御忌和讃」

お歌の解説

浄土宗を開かれた法然上人を偲び、そのお徳を讃える法要を「御忌(ぎょき)」といい、その思いを形にしたものが「法然上人御忌和讃」です。

御忌和讃楽譜画像

1番
承安じょうあん 五年の 春なかば 都の花に さきがけて
濁世じょくせ を救う 声あらた 専修せんじゅの門は 開かれぬ

【承安五年(1175)の春なかば、法然上人は浄土宗をお開きになられました。それは都の花が咲くことにさきがけてのこと、濁り汚れたこの世を救う新しい声、お念仏の声があがりました。専修念仏(専ら阿弥陀仏のみ名をとなえる念仏の行を修すること)の門である浄土宗が今開かれました。】

2番
み教えあまねく 広まりて 心に染み入る お念仏
流れあふれて 吉水の 歴史は清し 八百年

【法然上人のお念仏のみ教えは、分け隔てなくいたるところに伝わっており、その流れの勢いは溢れるばかりです。法然上人は今の知恩院、当時は吉水とよばれたところに庵を結ばれていました。そのため、吉水の上人様とも称されていました。以来、浄土宗の歴史は清く流れ、八百年になります。】

3番
代々の帝も 御感ぎょかん あり 贈名八度 くだされて
勅会と決る 御忌の庭 念仏の声 いや高し

【歴代の天皇も法然上人のみ教えに感動なされました。生前の徳を讃えておくり名を賜ります。大師号は、円光大師・東漸大師・慧成大師・弘覚大師・慈教大師・明照大師・和順大師・法爾大師と八度くだされました。大永四年(1524)法然上人の忌日法要である御忌法要は、天皇の命により修する勅会と決りました。法要が行われるところを庭とも言います。お堂で唱えられるお念仏の声はいよいよ高くなることでしょう。】

4番
華頂の嶺は 松青く 久遠の教え 日々若し
ひじり  法然 たたえつつ 拝む命の やすけさよ

【知恩院の背後の山を華頂山と言います。またそれは知恩院の山号でもあります。華頂の嶺には常緑の松が青々としています。そのことは、浄土宗のみ教えが久しく続いて永遠であること、また日々に新たな思いでお念仏申すことを表しているようです。聖である法然上人をお讃えします。私達は命ある限り、心に阿弥陀様を思い、手を合わせて阿弥陀様を拝み、声に出して「南無阿弥陀仏」とみ名を唱えてまいります。安らかな信仰生活を送らせて頂きます。】

(各お歌の解説は浄土宗総本山知恩院が発行する『知恩』に連載されている浄土宗詠唱教導司の加藤良光先生の「詠唱をあなたに」の2021年2月号の解説を参考にさせていただきました。)

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法然上人の忌日法要を「御忌(ぎょき)」と呼ぶようになったのは、大永4年(1524)に、後柏原ごかしわばら天皇が、「大永の御忌鳳詔だいえいのぎょきほうしょう」という詔勅を下されたことによります。その勅旨ちょくしには、「毎年正月、京畿の門葉を集め、一七昼夜にわたって法然上人御忌をつとめ、はるかに教えの源をたずねよ」とあります。
ここに、御忌は勅会として定められ、例年1月から4月ごろにかけて浄土宗の総大本山をはじめ、全国各地の浄土宗寺院で勤められており、浄土宗において大切な法要です。以来、天皇の忌日法要を指す「御忌」が、法然上人に対しても用いられることになったのです。

「念仏の声するところみな我が遺跡なり」と法然上人は残されました。和讃を通じてお念仏をとなえたその場所が法然上人の立派な遺跡となるのであります。

法然上人の御遺徳を偲び讃える「法然上人御忌和讃」をおとなえしてみませんか?このお歌はお舞もあります。

法然上人御忌和讃(おとなえ)

法然上人御忌和讃(舞)



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