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残業が楽しいフェーズ

尽くしている感、同じ残業をする同僚との一体感、人生を削られている感。宗教的なものから自虐的なものまで僕の残業を楽しくしているこの思考は自己防衛反応か。それとも残業と言えど数十分程度だからか。アトちゃんは定時に爆速退社をキメる人なのでそれに引っ張られすぎていたのかもしれない。脳が残業に悲壮感を感じないように自己防衛しているのだろう。

休日が楽しくない。仕事を始める前からニートの日々は鬱屈としていた。ただしそれは独りの日に限る。アトちゃんと過ごす休日は楽しかった。僕には友達がいない。正確にはいるのかもしれないけど他人以上友達未満という感じだ。家族内ですら僕だけ除け者のような存在だ。グループラインでは僕だけ発言しないし、家族や親戚の集まりにも僕だけ参加しない。僕にはアトちゃんしかいない。

noteを更新する頻度も減ってきて、何のために自分がアウトプットしているのかわからなくなる日が出てきた。オトは低空飛行でアトは他の表現活動に熱心になっている。オトアトは裏ではしっかりとした結び付きがあるんだけどそれが表には出づらい状態にある。ゆるく活動するユニットであることは初回から発信しているし、別に素人が趣味で始めたものなので誰が心配するわけでもない、誰に心配される必要もないユニットなのだけれど、今後も発信は続けていきたいなと漠然と思っている。主体となっている動画が停滞しているのは、まあ僕もアトちゃんもそういう質なのだと思っていただければ幸いである。

一般に社会人と呼ばれる存在になって、埋没していく自分を考える。自分が理由もなく特別な存在であるという中二病思考は少し前に捨てられた。等身大というか身の丈にあった幸せというのもなんだか馬鹿らしい。幸せは主体的に10倍にでも100倍にでもできる。だから僕はお酒が他人の1000倍美味しいし、仕事に他人の1万倍の達成感を感じる。苛立ちやストレスは他人の1億分の1だし、なんだか意味のわからない不安はゼロだ。埋没しながら僕は溶けていく。溶けてこの世界の一部になって、好ましいものと一体になる。そこに幸福を見出し地球の一部となる。いつか宇宙の一部と成れた実感を感じるのが目標だ。知覚の全てで宇宙とマインドフルネスを感じたい。きっとその頃には、死をも歓迎できるだろう。

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