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ジョジョミュ東京帝国劇場2月28日マチネにて

2月28日、帝国劇場で行われたミュージカル「ジョジョの奇妙な冒険」を観劇。いろいろあった思い出深い観劇になった。
これは2月28日千秋楽マチネでの出来事からの感想。これを書いている時点ですでに札幌公演は終了し兵庫公演への準備期間になって色々聞き及んではいるけど、それはまた次に兵庫公演の観劇をした時に比較をしながら感想を書きたいと思う。
追記:けっきょく大楽配信期間にまで被ってしまった…配信大楽を観る前の感想という前提で読む方は読んでほしい。この日とは全然違ったので、その感想はまた別に残したい。


おどろきの製作発表から開幕へ

製作発表があった時から、これは絶対見に行く。そう心に決めた作品だった。

荒木先生作品大好き。ジョジョも穴が開くほど読んだ。進行中で9部も読んでる。BTもアイリーンも、短編集も好き。
そんな先生の長編作「ジョジョの奇妙な冒険」の始まりの部がミュージカル化される。
しかも演出は舞台「死刑執行中脱獄進行中」でも指揮をした長谷川寧さん、会場は帝国劇場。なんて強いタッグ。
もう見るしかない。世紀の一大事だと。
コンテンポラリー色が強くなるのか、それともどうなるのか。
サブカルチャー原作のミュージカルは2本目。しかし帝国劇場は名前しか聞いたことがない初めての場所。
自分にとって、初めての帝劇はこのジョジョだ。

情報が出てくる内に役者陣も発表されていく。
ジョジョ1部といえば「丸太のような脚」「蒸気機関」のイメージ。195近くで筋骨隆々の唄って踊れて演技ができる役者さん…
いるのだろうか、人類の中に。
いや、ミュージカルにあまり詳しくないから知らないだけで、実際いるのかもしれない。帝劇でやるくらいだからきっと見つけてくるのだろう。
謎の期待をしながら待つ日々。そして発表される役者陣。
ん?ディオ役に宮野真守さん。どちらかというと「声優」「アイドル的な人気」というイメージが強く、ほうほう。主人公ジョナサン役はWキャスト今をときめく若手2.5次元俳優の方、ふむふむ。
…全体的にスマート(細い)…気がする。
どうなるこの舞台。漫画アニメ色の強い2.5次元舞台寄りになるのか??でも演出は寧さん。一体どうなる???
完成図が全く想像できない中、開幕までの日々を過ごしていくことに。

いろんな思いを胸にいよいよ幕が開く2日前、仕事も終わり、遠征準備のため今一度時間確認をしようとSNSにアクセス。

その瞬間、チケットはただの数字と文字の羅列になった。

え、うそでしょ。
夜中に目が覚めたとき、思いだしてちょっと泣いた。

そして現地へ

楽しみでなかった初日にチケットがただの数字になり、どうしても諦めきれず、2日前に譲って頂いたチケットを握りしめ、楽日のマチネのにたどり着けた時はまだ始まってもないのに胸が張り裂けそうだった。

そして「君たちは選ばれた」開幕の一言に泣いた。
別の意味合いをもって、泣いた。
ありがとうチケットを譲ってくださった方。ばっきゃろう製作委員会。


観劇感想

舞台装置について

まず目についたのは舞台装置。
思いついた人天才か(他にもこんな舞台装置あれば無知で申し訳ない)形状がうまく説明出来ない。なんていうんだろうああいうの?
半分の環状線みたいな、環状坂道?水平においたドーナッツの手前を傾けて1/4くらいを地面に埋めた感じの形状。回転するようにスライドできる仕組み。一番高い場所で2.5mくらいか。
さらに背景の壁も動く。背景の壁も手前のステージに沿ってスライドするように回転する仕組み。環状の坂道と壁を組み合わせることで上手・下手・奥だけでなく、さらに空間の上部から捌けることができる。動画のワイプアウトのようなイメージで捌けることができ、場面転換の選択肢が多岐に渡りとてもおもしろい。

上から出て、坂道降りて、板に立つ。
下からカーブを描き上り、上で幕が閉じる。
奥から、上から下と人の流れが立体的かつダイナミックで空間の広さを存分に使える舞台装置だった。

それだけに動きの広さ、空間の使い方、単純に坂道上り下りしながら演技する力などなど、かなり大変なんじゃないかなと思う。
安全性の確認に時間がかかったというのにも頷ける。頷けるけどそれはそれとしたい複雑な心境である。

衣装とデザインについて

これにはすごいびっくりした。ジョナサンだったし、ディオだったし、エリナだった。みんなジョジョに出てきた人だった。
ジョジョ第1部と言えば、丸太のような脚や蒸気機関車に代表されるよう、筋骨隆々でマッシブなイメージ。今回のミュージカルについてもなんの疑いもなくその路線に行くだろうと思っていた。
筋肉ならあの人かな、この人かなとキャストの想像もしていた。
そんなもんで、ビジュアル発表で画が出てきた時の正直な感想は「全体的に細身だな」だった。
決して華奢ではないんだけど、ガタイがほしい。そんなことを思っていた。
しかし、幕が開き衣装をまとい動き出した姿は間違いなくジョジョでディオでエリナでジョジョの住人達だった。

衣装については荒木作品の実写化の前身ともいえる舞台『死刑執行中脱獄進行中』そして実写『岸部露伴シリーズ』の功績も大きいと思う。「原作そっくりではなく、二次元の人間が実際の三次元で存在したらどんな姿になるか」その一つの答えがそれぞれの提示されたことによって荒木作品を三次元で表現するにあたって観客側への門戸をかなり開いていったように思う。そっくりではなく、再構成という考え方。デザイナーの思考によって生まれ再構築された衣装とキャラクターのデザインの説得力に納得をさせられた。納得は全てにおいて優先する。

さらに動いたほうがよりキャラクターのリアル感というのか「本物」という感覚が増すのは驚きだった。
衣装デザインの方は「ギリギリ日常で着れそうな衣装」ということをインタビューの中でお話されていて、紙面から出てきたキャラクターというだけでなくではなくそこに生きる人間の輪郭を作り出していると感じられた。すごく素敵な衣装だった。

個人的にワンチェンの衣装がすごく好み。あんな感じのお洋服ほしい。


シナリオについて

お話は年老いたワゴンさんの独白から始まる。ビデオレター風の演出から客席に語り掛ける「私はこれからメキシコに向かう・・・」
アカン!!それはフラグや!!と同時に思わずニヤリとする流れ。そして石仮面の時代へ。力強い「族長(おさ)!族長(おさ)!」と贄のシーンをしっかり描いているのがとても嬉しい。

これだけでなく、次回以降の部を期待してしまうような場面が多々ある。ジョジョ全部に共通する「人間賛歌」をどのキーワードで拾い上げていくか、同じ世界線の1~6部の中で共通する部分をどう1部の内容に落とし込んでいくかを再構築しているような脚本になっていたと感じた。
ジョジョ一巡目世界線欲張りセットだ。

第一幕はここからジョースター邸にて慈愛の女神像に串刺しになるところまで。時間にして1時間半。全部細かく語りたいけど印象に残ったところを中心に書いていく。

産業革命により富と貧が交差する時代。市民とワゴンさんのラップによって時代背景が謳われる。
ワゴンさんラップ??!!そう来たか!?とびっくり。でも確かに親和性はあると思う。ありだな。

アンサンブル扮する市民によってイギリスの社会背景や社会環境の移り変わりが描きだされていく。「貴族社会」「貧民街」「切り裂きジャック」意外とジョジョはそういう社会情勢的なものも登場人物に深く関わる要素になっている分、説得力が増したなという感じがあった。納得はすべてにおいて優先するってやつかもしれない。

運命の分岐点、ダリオとジョースター卿の出会い。
このシーンはステージの作りがやっぱりいい。崖上崖下をこういう形で表現できるのいい。ダリオ登場時からまさにダリオでびっくり。金目の物せしめようとする様子、目を覚ましたらいい人ぶる様子、いいひとぶる様がまたうまいというかなんというか。小物っぽい感じも含めてまだ人っぽい。そして助けてくれたと勘違いして声をかけるジョースター卿。助けられる赤ちゃん、そして趣味の悪い石でできた仮面。ここからすべてが始まっていく。

幼少期のジョナサンとエリナ、そしてディオの出会い。
この頃のジョナサンのまーいいとこの坊ちゃん感。松下さん演じるジョジョの幼さが際立つ。世間に擦れてないというかパパに大事にされてきたんだね。でもちゃんと「男子たるもの」的な教育を受けてきた貴族の坊ちゃん。まっすぐすくすく育ったのね。
そしてダニー。え、かわいい!!パペットでの動きがすごくかわいい。下町ボーイに絡まれるエリナの人形は帽子になってた。さすがにあんまりよろしくなかったか。
ここでけちょんけちょんに負けるジョナサン。でも紳士であることを目指す強さは伝わったよ、頑張れ。

一方貧困街で過ごすディオ。こちらは下町ボーイよりさらにガラの悪い大人に絡まれる。ジョナサンの幼少期の生き生きはつらつとした感じとはうって変わって、鬱屈とした雰囲気。周りに心を開かず全てを敵視しているような宮野さん演じるディオ。ガラの悪い大人に絡まれても眉一つ動かさず斜に構えたような態度。大人びた雰囲気もあるけれどこちらもちゃんと子供っぽい。
床に臥せっても元気に怒鳴り散らすダリオと一緒に住んでいる。ディオを呼ぶ歌が印象的。後にあんなにも禍々しい呪いの歌になるとは思わず。そんな子供時代の対比が印象的だった。

ディオを養子に迎えるジョースター家

バン!(トランク投げる) シャン‼(馬車から降りる) クルッ バーン‼

まさに漫画のコマのまま登場する宮野さん演じるディオ。本当にあのポーズで出てきた。ここから共同生活が始まる。

別所さん演じるジョースター卿の朗らかで品のある佇まいと歌声。慈愛の女神像にフューチャーしてる歌詞が印象的。コミカルな勉強や食事マナーのシーンでは周りの執事・メイドのリアクションの差がまた面白い。「あぁ、坊ちゃん・・・」と言いたげなジョナサン側、「まぁ、坊ちゃん!!」と惚れ惚れしているディオ側。ディオは食事中に花を渡す余裕ときざっぷり。
終始スマートでカッコつけなディオ、やんちゃで腕白なジョナサン。二人の振舞からジョースター卿がいかなる形でジョナサンに愛情を注いできたのかも浮き彫りになってくる。とんだ甘ちゃんだぜ!と言いたくなる気持ちもわかる。

そして語りだす「星と泥」。6部で出てくるフレーズだ。問いかけるジョースター卿に応える二人。
ディオの星と言いそうだけど思いとどまって言う「泥」、まっすぐに空をみながら「星」というジョナサン。ここにもディオとジョナサンの差が。
一瞬「星」といいそうな雰囲気があったディオから「泥」の言葉が出たディオからダリオの呪縛を感じていまい切なくなる。

ネットでも有名な例のキスシーン。
これについて詳しくは役者陣の感想に書こうと思う。
原作やアニメにある勢いというよりも「貴族社会における、異性の尊厳の凌辱」を存分に感じさせる演技で言いようのない気持ちを味わった。魅了される、でも嫌悪感もある。いや、なんだろう、ゾクゾクして言いようのない気持ち。あこがれはしないがまさに痺れた。

ダニーとの別れ、青年期のディオとジョナサン、病のジョースター卿、屍食鬼街でのスピードワゴンとの出合い、ジョースター卿の死、館の炎上が怒涛の勢いで進んでいく。その中でディオを呼ぶ歌声と共に登場するダリオ。
運命の最終地点でもある6部のにも出てくる「泥と星」の語りと共に進んでいき、二人の運命を決定的に分かつ場面で幕が閉じる

第二幕はワンチェンの首探しから始まる
この時の動きが人間離れしてて目が離せない。この広い舞台を1人で存分に使い、足場下に引きずり込まれていくところまで、セリフが全くない時間息を飲んでじっと見てしまう。このワンチェンはたぶん普通に戦っても強いワンチェン。いつか吉兆の方角を教えてくれるよくしゃべる龍を出せるようになるかもしれない。

切り裂きジャックの登場もとても印象的
切り裂きジャックの噂で持ち切りのロンドン。男と会話を交わす女があっという間に死体に変わる。
あれ、今のジャックだった・・・?いつの間に・・・?
切り裂きジャックの登場はあまりにも自然体で「日常に潜む殺人鬼」だった。殺意というか「これからやるぞ!」という気配なく、普通に談笑しながらどこからともなくするりとナイフを出す一連の動作が美しい。

二幕のディオは明らかに一幕と違う。吹っ切れたというかなんというか、スッキリしている。そしてなんか関節の動きがおかしい。プロ殺人鬼の切り裂きジャックをなんかすごい色気で勧誘していく。ゾンビたちとの歌とダンスがかっこいい。

そして満を持してのツェペリさん登場。正直東山さんが演じるツェペリさんが見たくてこの回を選んだと言っても過言ではない。
「パゥッ!」から始まるナンバー、明らかに今までのシーンと違う雰囲気でまさに新しいキーパーソンの登場!といった感じ。原作にあるいきなり腹部をなぐってくる怪しさとサンドイッチに胡椒をかけすぎてくしゃみをする愉快さが入り混じるナンバーで、なんかこの人強そうな雰囲気がある。華麗に舞い歌うツェペリさんの言葉や仕草やダンスから「イタリアの伊達男」と「お師匠さん」の雰囲気がにじみ出る。ダンスの色気と声のダンディさがすごくて怪しいというより妖しさセクシーがすごい。

ここにきて『波紋』というものが出てくる。ジョジョ1・2部に慣れ親しんでいると当たり前のように受け入れているが、おそらく原作知らない方には難しい部分でもあると思う。これをどう表現するかというのも蛙がつぶれる「メメタァ」と共に気になるところではあった。

今回の演出ではアンサンブルの方々の動きやダンスを波紋エネルギーに見立て表現をしている。
舞台装置が割れるとかプロジェクションマッピングで映す、物を飛ばすといった演出も選択できるところを、人間を使い表現をする方法にハッとさせられる。と同時に、後に出てくる波紋の進化系ともいえる「そばに立つもの=『幽波紋(スタンド)』」にも意味合いとして通じるものがありとても感心した。

これ、スタンド表現もそのまま応用できる気がする。ぜひよろしくお願いいたします。

軽快なナンバーと共に説明される波紋「呼吸が生み出す太陽のエネルギー(ざっくり)」「太陽のエネルギーは吸血鬼に効く(ざっくり)」というものだ。ポイントになってくるのは①呼吸が大事ということと②波状のエネルギーということ③吸血鬼やゾンビに効くということ。曲や衣装から伝わってきていてよかったと思う。
しかしこのナンバー、今までの雰囲気とうって変わった軽快さが印象に残る。スーハー。

波紋講座を受けたこの後、関節を外して腕をのばして痛みは波紋で和らげる荒業ズームパンチを習得。腕が伸びる演出が秀逸だった。

ウィンドナイツロットへ
先のズームパンチで負傷したワンチェンが逃げてくる。仮面探しの軽やかさとは違いビッタンビッタン体を叩きつけるように苦しみながらの登場。ここの動きもどうなってるんだ・・・。追いかけるスピードワゴンのラップで場面転換と状況説明。お節介焼きがいかんなく発揮されながら馬車が進んでいく、と思いきや急停車。倒れる御者、そして馬から出てくるジャック。
そうだ、ここ原作馬から出てきてた。すっかり忘れていたけどまさかここの再現まで行うとは思わなかった。ちゃんとベロベロ言ってて怖い。

ここからワインと波紋を使った戦いが始まる。ツェペリさんの「戦いの思考だ」「レッスンだ」その原作にも確かあったセリフではあるものの…7部好きに効く…。

波紋を習得したことで今までの戦闘場面より群像度が増し、見た目のギアも上がる。波紋を使う前に呼吸を整えると波紋隊も波紋使いに集まってくる様子が、呼吸を可視化していていいなと思った。
余裕しゃくしゃくツェペリさんがスピードワゴンにワインをおごっていた。グラッチェ。

タルカス・ブラフォード戦
ビジュアル発表時にキャスト名が無かったので、もしかしてここはうまいこと省くような形の脚本になるのか、ちょっと勿体ないな…なんて思っていたらまったくの杞憂に終わった。それどころか"ねぶた"を使った表現になるとは思ってもみなかった。
今回の脚本を作った方、舞台装置・演出を考えた方、役者をそろえてきた方の原作への解釈の深さと発想の引き出しの多さにここまで脱帽させられっぱなしである。

ここにきて一幕の星か泥の二人の騎士の話がしっかりと生かされてくる。ここに自然な形につなげるのもシナリオの妙を感じた
「ラック幸運を、プラック勇気を」は「幸運を、そして勇気を」になっていたのはちょっと気になった。ただあのシーンは活字の妙が生み出しす部分でもあるのでこの言い換えの方が伝わりやすいのかとも思った。

ここまでの文章量からお察しのように、一幕の驚きと興奮で集中力を使ってしまい、言語化できるほどしっかり記憶に残せてない部分も多く、二幕についてはより簡単な感想になってる気がする。もしかしてちょっと疲れていたのかも・・・

ウインドナイツロット最終決戦
「これが君の望んだ世界なのか」「君は人間であることから逃げたんだ」とはっきりという。
ディオが人間を辞めた解釈をジョナサンの口を通してここまではっきり明示されると思わなかったので驚いた。

一幕であったジョナサンとディオの衝突をなぞるように展開される戦闘シーンはまさに「僕/俺 の青春は 君/おまえ との青春」だ。友情を感じないといいながらも、二人で過ごした日々は紛れもなくそこにあり二人の間には切っても切れない関係性が出来上がっていることを感じざるを得ない。表と裏、炎と氷、2人で1人。なんでこんな決別しちゃったのかな…でも理解しあえたからこそ理解できなかったのかなという不思議な、まさに奇妙な友情を感じた。

ウインドナイツロットの事件は小さな事件として取り上げられた。
不明者と仮面を壊す男たちの目撃情報だけを残して。そして小さな見出しにはジョナサンとエリナの結婚話。甲板で歌うエリナ、本当に気高く可憐で、月日の流れを感じながら幸せを願わずいられない。
甲板と船室のシーン、ここでも舞台装置が生きてくる。こんな幸せな二人の下から、ワンチェンが手招きする。

二幕のダークグリーンのローブ衣裳の理由がここでわかる。首だけディオの表現として、顔部分のみをライティングし、手足を使った表現や演技を無くし衣裳部分を背景に沈めることで首のみがここにあるという演出の仕方だ。演劇的な表現といえばいいのか、例えば箱から首を出すという形に収めず、視覚効果と身体の動きで状況や場面を表現するところが今回の演出の特徴だなと感じさせる。
ここのナンバーで「神話が始まる」と高らかに歌われるところはこの先の部を知っている身としては鳥肌が立った。

最後、赤ん坊を抱えたエリナが歌う。その赤ん坊は…とハッとしているとディオとジョナサンが。ジョースター卿やブラフォードの時に見られた死後の表現と同じように感じる。
荒木先生が死んだ仲間が雲になって空へ消える形を表現しているんだろうということが連想できてすごくいい。死後のディオとジョナサンは「生きよう」「消えよう」とそれぞれが言い放つ、まさに「泥を見て、生きてなにをなすか」「星を見て、どう生きたか」がここでも二人を分かつ。あがくディオの手をつかんで死後の世界へ連れていくジョナサン。二人で一人、表と裏をきれいに表現してきたなと感じた。

「スピードワゴンはクールに去るぜ」の言葉とともに浮かぶ石仮面
不穏な空気と次作への暗示ともとれるものを残し幕が下りた。

シナリオ全体を通して

主人公ジョナサンを中心としたお話というよりディオに焦点が当たったシナリオという印象が残ったシナリオだった。

原作では描かれていなかったディオの背景がダリオの描写と共に色濃く描かれて、存在感が増している。「人間を辞める」動機付けをより理解しやすいものにし、ジョナサンとの因縁の始まりへとつながっていく。
なぜディオが人間を辞めたのか、なぜジョナサンが紳士であれたのか、環境・家族・社会的背景を描くことによってより現実味をもって伝わってくる。

このディオの描き方については賛否が出そうだなと少し思った。『絶対的な悪のカリスマ』のイメージが強く、今回の脚本からするとだいぶ弱さのある人間味があるように感じた。だけど個人的にはあり。

このディオも物語の根底にある「人間賛歌」というテーマを考えさせられるディオだからだ。

原作のディオは「生まれ持った悪」の描写として、
「一番の金持ちになる」という野心を持ってジョースター家をのっとろうとする。貧しく薬代すら酒に変えてしまうダリオを恨み、自身の置かれた環境からの影響だ。
手段は選ばず、容赦もしない。あらゆる手を使って目的を達成しようとする。後に「あらゆるものの頂点に立つ」ところまで行きつく究極の野心家。『あきらめずに前へ前へだけにしか進まない』こう書くと正義のヒーローと変わらないのがまた面白い。

原作ではダリオや母親の描写が無いことも重なり環境しがらみからの苦悩というよりは、自分の運命を過去ごとねじ伏せ、目的を達成する。そんなイメージ。
しかし、これは描かれてないだけでしがらみへの苦悩が本当はあったのかもしれない。
TB作品の一つに西尾維新作の「Over the Heven」というものがある。
ここではディオと母親の関係について考察され描かれている。
作品の余白部分の視点の物語だ。この物語を踏まえつつ、パンフレットに記載のあった「生まれついた悪とは、環境から切っても切り離せない関係がある」を考えると今回のディオの描写にたどりつくのも納得がいく。

ジョジョに携わった役者の方でこんなことを話していた方がいる「『運命は自分で切り開くもの』というセリフがある。全ての部の主人公や悪役たちはそうやって道を切り開いていく。一方で、『決まってしまって簡単に抗うことができない、だからこそ運命なんだ』ということも作品を通して語っていると思う。ローリングストーンなんだ」と。
人が運命に抗い、目的のために手段を選ばずもがき努力する様こそ
「人間賛歌」で敵も味方もその意思を持って戦っている。

今回のミュージカルでの様々な苦悩して人間を辞めたディオも、運命に抗っていた。その様は間違いなくジョジョ全作品の根底にあるテーマ「人間賛歌」だった。
根底が変わらなければ今回の脚本には非常に納得感があった。

シナリオ全体の感想も結局ディオのことばかりになってしまっている。
それだけダリオとディオの相乗効果によるパワーは大きかった。逆に言えばジョナサンの比重がちょっとだけ弱かったかなという印象もあった。

最後に

今回帝国劇場の楽日の感想になるが、ここから札幌・兵庫と公演が続いていく。長い期間、場所を変えていくことでますます変化を見せていくであろうことがありありと予想できる。そんなカンパニーのパワーを感じる公演だった。帝劇で1回観ればきっと満足できるだろうと踏んでいたのに、もう一度現場で観たいという気持ちばかりが溢れてくる。
兵庫公演、できれば別キャストの組み合わせで観に行くためチケットを取った。もう席がだいぶ少なくなってしまっていたので何とかセーフ。4月が楽しみだ。

キャスト陣についても色々な思いが沸いてきたのでそれぞれの細かな感想については別記事に。大千穐楽は配信で確実に観るのでどんな風に変化が起こるのかの備忘録として残しておきたい。
全体感想だけでここまで長くなってしまったけど、書けるかな・・・。




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