グデーっとする時間が圧倒的に足りない
ナマケモノにはつらい毎日
生来の怠け者であるこの私(※1)。
意に反して現在は週6日労働に勤しみ、悲鳴を上げています。
まぁこれも来るべきニート生活のためというわけです。
それにしても日々感じるのは、自由にできる時間が本当に少ないということです。
「社会人 自由時間」でググるとトップに出てくるサイト(※2)によると、多くの社会人の平日の自由時間は90~120分程度ということのようです。
仕事から帰ってきて一息ついたらもう寝る時間と、平日はそんな感じの毎日を過ごしている人が大半ということでしょう。
平日はもはや仕事のために生きているようなものですね。
ご先祖様は1日6時間労働?
そもそも人間にとって適切な労働時間とはどれくらいなのでしょうか。
ここでふと思いを巡らせるのは、私たちのご先祖様はいったいどのくらい働いていたのかということです。
旧石器時代、狩猟採取時代の人類は週に16時間程度しか働いていなかったという説もあるようですが、これはさすがに短すぎるのではないかとも言われているようです。
以下の記事(※3)では現存する部族の実際の労働時間から、1日6時間程度だったのではないかという推定がされています。
1日6時間と言えば、朝から昼過ぎまで働くみたいな感じでしょうか。
まぁ妥当な長さと言えるかもしれませんね。
ニートのようなフリーダムさが豊かな発想を生む
現代社会では多くの人が長時間労働に苦しめられていますが、私が思うに真に革新的な発想というのは何物にも縛られない自由な立場でいる時に生まれます。
時はさかのぼり、紀元前の古代ギリシャ。
この時代には後世に名を残すような偉大な哲学者達が名を連ねていました。
ソクラテス、プラトン、アリストテレス……
いずれも現代にまでその名をとどろかせるような大物ばかりです。
しかし、いったいなぜこの時代に集中して傑出した哲学者が存在したのでしょうか。
その理由は当時の社会制度にあったのではないかと私は思っています。
どういうことかと言うと、古代ギリシャでは奴隷制が敷かれており、基本的に労働は奴隷によって担われていました。
つまりかの高名な哲学者達は、いわば労働から解放された特権階級(今で言うニート)だったというわけです。
すなわち彼らは日々十二分な時間があったからこそ、あれほどまでに高度な思想を発展させることができたのです。
日々仕事に追われていると思考力が奪われ、それ以外のことを考える余力がなくなっていきます。
逆にある程度時間に余裕が出てくると、自然といろいろなことに思いを巡らせることができるようになります。
実際、私も哲学者(ニート)のような生活を送っていた時期がありましたが、当時を振り返ると、いろんな事に意欲的に取り組めていたように思います。
社会の常識に縛られない自由な発想ができるニートにはやはり羨望の眼差しを向けざるを得ません。
自由を手に入れるために
翻って現代。これまでとは比べ物にならないくらい日々の生活は豊かになりました。
しかしその分、特に産業革命以降は労働時間も伸びました。
また我が国は諸外国に比べ、労働環境がよろしくないことで有名です。
労働時間が長い、休暇が取りづらい、転職が難しい、無職期間が許されない……などなど。
そんなわけで働き出すと時間の価値というものを実感するようになります。
さて、そんな現代社会においてニートという特権階級になるためにはどうすればよいのでしょうか。
それにはやはり、最低限食っていけるような資産を築く必要があります。
そしてそれと同時に必要となるのが、なるべく生活コストを下げるという努力です。
この現代社会でより豊かな生活を享受するには相応の対価が必要になりますが、大多数の人にとって基本的にその対価は労働で稼ぎ出すしかありません。
つまり消費社会にどっぷり浸かると、四六時中働いて文字通りお金の奴隷としてサービスの対価を稼ぎ続けなければならなくなります。
これでは夢のニートライフは遠のくばかりです。
自由な生活を手に入れるためには、低コスト体質になる必要があります。
ただしあまりにケチケチしすぎるとストレスもたまってしまいます。
なので、ある程度の額以上の大きな買い物をする時に特に気をつけるというように、ほどほどの節約を心掛けたいと思っています。
また一度生活レベルを上げてしまうとなかなか下げることができなくなると聞きますゆえ、ある程度資産が積みあがってきたとしても油断は禁物です。
一日も早く現代に生きる哲学者となるため、これからも種銭集め、節約、投資を淡々と行っていきたいと思います。
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