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テクノロジーにより進む幼児化とその先に待ち受けるもの


情報化社会が幼児化をもたらした?

先日、社会の情報化によって文化の変質が起こっているとする論説が地方紙に掲載されました。

 ▽上書きの運命
 ジャニーズ問題の背景には、10代半ばの少年、少女を人気タレントに仕立て上げ、そこに利益を生み出すという、わが国のエンターテインメント文化の現状がある。
 「かっこいい」「かわいい」がもっぱらの価値基準となり、商品価値が生まれれば、テレビなどのメディアもそれを後押しする。大人たちが、少年・少女たちにこびを売り、そのくせ、彼らをだしにして稼ごうとする。
 こうして、少年・少女たちが市場の舞台にのせられ、社会や文化の主役になり、大人がそれに迎合する。
 今日では「若いこと」が価値を持つ。言い換えれば「新しいこと」が価値を生む。経過した時間が長ければ、それだけで、人も物も使用期限切れになってしまう。
 かつては、あたかも水滴がたまるように、経験や知識の蓄積を可能とする、ゆったりと流れる時間が大事であった。今日では、経験や知識の蓄積などは余計なものであり、時代の変化に対する軽やかな反応こそが価値の源泉になる。
 年寄りは、経済的にも社会的にも役立たずの古ぼけた存在になる。これはエンタメ文化だけのことではない。あらゆる分野で見られることで、今日の文明の陥った「幼児化」というべきものであろう。それこそが情報化社会にほかならないのだ。
 情報化という現象は、常に「新しさ」に価値を求める。メディアも「ニュース」、つまり「新しいもの」を追いかける。情報は常に「アップデート」を要請され、たえず「上書き」されなければならない。情報化社会では、人も社会も同じで、「アップデート」され「上書き」される運命にある。
 「アップデート」に乗り遅れたものは、社会の敗者になりかねない。IT革命から始まった、今日の「イノベーション」賛美は、まさに「イン・ノーブ(新しくする)」ことへと、人々の関心を駆り立てていった。こうしていわば「上書き文化」にわれわれはすっかり浸っている。
 だが、時間の中でゆっくりと経験を積み、吟味し、反復し、育成するという習慣の衰弱は、われわれの「文化」の喪失を意味している。
 なぜなら、「文化」とは、「カルチャー」つまり「カルティベイト(耕す)」であり、あたかも土地を耕し、土壌を肥やし、そこに植物を繁茂させるように、ある場所で時間をかけて、人の精神をゆっくりと育てるものだからである。
 ▽鈍麻する感覚
 ところで、第2次世界大戦の前夜、オランダの文明史家であるホイジンガは、当時のヨーロッパ文明が「小児病」化している、と言った。人々は、たやすく満足を得るべく即席の気晴らしに精を出し、粗野で大げさなものに引かれ、壮大な見せ物に拍手を送る。
 人々はまた、本当の意味でのユーモアの感覚を欠落させ、物事に簡単に同調し、また同時に、見解の違う者に対して不寛容になり、何事をも誇張的に表現する、こうした精神的態度を、ホイジンガは文明の「小児病」と呼んだ。「幼児化」といっても同じである。
 しかもそれをもたらしたひとつの原因は、社会生活が高度に情報化され、伝達速度が高速化したからだという。その中で、人々は、自分の頭で物事を考え、判断することをやめる。繊細な感覚が鈍麻する。スローガンのような単純な言語が社会を動かす。
 人は、大人になるよりも、子供であろうとする。大戦前夜の文化を「幼児化」といったホイジンガの文明論は、まさしく今日のわれわれの世界にもあてはまるのではなかろうか。

識者コラム「現論」 幼児化が招く文化の喪失 ジャニーズ問題から考える 佐伯啓思
https://www.at-s.com/news/article/national/1277684.html

ゆっくり時間をかけて物事を経験、反復したり、吟味するという習慣がなくなった結果、その習慣によって培われ、cultivateされてきた文化の重厚さが失われている。

そしてそれは文化を生み出してきた人間の精神の衰退、幼児化を意味しているのではないか、ということを指摘しています。

社会の情報化、ネット化によって失われた習慣。

特に大きいのは、じっくり本を読む読書の習慣かもしれません(※1)。

「深い読み」が持つ神経学的効果についての最近の研究は、スティーヴンズの詩文に科学のツヤを付け足している。ワシントン大学動的認知研究所が行ない、二〇〇九年に『心理科学 [Psychological Science] 』に発表された注目すべき研究では、小説を読む際に脳内で何が起こるかが、脳スキャナーを用いて調査されている。その結果、次のことがわかった。「物語内で出会う新しい状況を、読み手は心的にシミュレートしている。テクストから把握された行動や感覚の詳細が、過去の経験から得られた個人的知識と統合される」。脳のなかで活性化される領域は、「現実世界で同様の活動を、行ったり想像したり、観察したりする際に使われる部分」であることが多い。

この深まりはページ上だけにとどまるものではなかった。本を読み、書くことは、生と自然についての人々の経験を高め、磨き上げたと言っても過言ではない。

本の読み手と書き手とは、つねに高度に共生的な関係にあり、その関係は知的・芸術的交流の手段となっている。書き手の言葉は読み手の精神のなかで触媒として働き、新たな洞察、連想、知覚、およびときには啓示をも触発する。

印刷されたページをめくることで、議論や物語のラインをたどっていくという規律をみずからの精神に教え込んだとき、われわれの先祖は、以前より思索的で、反省的で、想像力ある存在になった。

『ネット・バカ』 / ニコラス・G・カー

近年の読書習慣の変化が示唆するのは、「大衆による読書の時代」というものが、われわれの精神史において短期間だけ生じた「例外」だということである。「われわれが現在目にしているのは、読書がかつての社会集団へと立ち戻っていく姿である。読書階級と呼ばれることになるだろう自己維持的な少数集団へと」。

本を読むということはその実、書き手の精神世界に意識を溶け込ませ、その世界を追体験するという非常に高度な精神活動を要求するものなのです。

その時間がデジタルな娯楽によって置き換えられた結果、かつて人間の精神を育んできた営みが失われてしまったと言えるでしょう。

スマートフォンというデジタルヘロインの蔓延

社会の情報化による負の側面は、人の精神を育む習慣を失わせたというだけにとどまりません。

それ以上に大きな影響を及ぼしていると考えられるのはスマートフォンやタブレットなどのデジタルデバイスです。

このデジタル端末の普及によって、日々無限に増え続ける情報へのアクセスがいつでもどこからでも可能になりました。

さらにSNSという人の社会的欲求、本能を強烈に刺激するプラットフォームが登場したことで、「もっと新しい情報が欲しい」、「もっといいねが欲しい」という欲求の暴走、報酬系の過剰な活性化に歯止めがかからなくなってしまいました。

報酬系は進化的に古い脳のシステムの一部で、人の本能的欲求・欲望を刺激することで、目の前にニンジンをぶら下げられたウマのように人間を生存・繁殖に駆り立てています。

その「獲物」に向かわせるため、報酬系にはストレス中枢(扁桃体)が組み込まれており、報酬期待(ドーパミン)によってストレスホルモンの分泌が促され、体温や心拍数、血圧、血糖値などが上昇し、身体が闘争モードに切り替わる仕組みになっています。

この急性のストレス反応のおかげで人間は頑張ることができるわけですが、報酬系の絶え間ない活性化によって慢性的にストレスホルモンが上昇した状態が続くと、さまざまな弊害がみられるようになります。

その一つが、前頭前野や海馬など、人の知性を司る脳領域の神経細胞のアポトーシス(細胞死)です。

ストレスによって脳細胞の細胞死が促進されるのは、太古の時代には慢性的なストレス状態は危険な環境に身を置いていることを意味したため、生存を最優先する闘争モードでは余計なエネルギーを消費しないようにするメカニズムが進化的な合理性を持っていたということでしょう。

ストレスを受けると、脳内の血流は、思考力の高い領域(一番外側にある大脳皮質、つまり「新しい」脳)から、より原始的な領域(奥深くにある大脳辺縁系、つまり「古い」脳)へと繰り返し誘導される。言い換えれば、生存に関わる領域に血液が送られるのだ。

『子どものデジタル脳完全回復プログラム』 / ヴィクトリア・L・ダンクリー

つまりスマートフォンやタブレットによって報酬系が過剰に賦活されることで、身体は理性の脳を犠牲にして、サバイバルに集中するためのモードに切り替わってしまうということです。

特に繊細で脳の可塑性の高い幼少期~思春期にかけて何かしらの依存に陥った場合、発達に大きな影響を及ぼす可能性があります。

スクリーンの明るさ、すばやい動き、彩度の高い色などは、すべて視覚的な感覚過多を引き起こす要因である。強烈な刺激は、注意力と覚醒度を高め、「戦うか逃げるか」の原因となる。

思春期に何らかの依存症に陥ると、脳の前頭葉の発達が阻害される。前頭葉は、意思決定、組織化、注意、衝動制御、作業の完了、感情の制御(まだまだある!)の機能を担っている。双方向スクリーンに関わる時間が、ストレス反応を引き起こし、報酬や依存症の経路を活性化するとしたらどうだろう?大脳皮質や前頭葉への血流が減少し、脳の発達に影響を与えるのではないだろうか?

また慢性的なストレス状態は性ホルモンの分泌を阻害することも知られています。

特にテストステロンなどアンドロゲンが持つ精神作用は大きく、脳内神経伝達物質であるドーパミン神経系やセロトニン神経系の活性化を介して精神(脳)を安定させる作用があり、男女問わずホルモン値が低下すると心身の成熟が阻害され、いわゆる草食化やメンタルの不調をきたしやすくなります。

 近年のアメリカで大きな問題になっているのは、iGenの不安症やうつ病の罹患率、および自殺率がミレニアル世代よりはるかに高いことだ。
 2011年頃から十代の女子のうつ病の罹患率が急増し、16年には女子のおよそ5人に1人がうつ病エピソードの基準を満たす症状を報告するようになった。もちろんこれには、うつ病の診断基準が変わったのではないかとの反論があるだろうが、「10代の自殺率がうつ病の増加と足並みをそろえて増加している」事実がこれでは説明できない。
 アメリカ国内の66の病院データを01年までさかのぼって調査し、国全体の自傷行為率を推定した研究では、15~19歳の男子では自傷行為が10万人あたり200人前後で推移していた。一方、同じ年齢層の女子では、01~09年は10万人あたり約420人と比較的安定して推移していたものの、10年以降はじりじりと増えはじめ、15年には10万人あたり630人に達した(同世代の男子の3倍の割合でハイティーンの女子は自傷行為をしている)。
 10~14歳では、女子の自傷行為はさらに急速に増加しており、09年に10万人あたり110人前後だったのが、15年には318人とほぼ3倍に増えた。同じ10~14歳の男子では調査期間を通して約40人だったから、ローティーンでは男子の8倍の割合で女子が自傷行為をしていることになる。
 自分には精神疾患があると回答した大学生の割合は、男子では12年の2.7%から16年の6.1%に増加し、女子では同時期に5.8%から14.5%になっている。驚くべきことに、今やアメリカの女子学生の7人に1人が、自分には精神疾患があると考えているのだ(ミレニアル世代の終わり頃では18人に1人だった)。

「傷つきやすい若者たち」と「過剰な甘やかし」 いまアメリカの名門大学で起きている“異常な事態”
https://www.moneypost.jp/1050775

脳の可塑性は生涯にわたるものであり、この影響は若者だけでなく大人にも及びます。

デジタルヘロインとも呼ばれるスマートフォンの普及は、人の未熟化をもたらしたのではないでしょうか。

幼児化の先に待ち受けるもの

この未熟化、幼児化の徴候は前述の理由から、デジタルネイティブと言われる若い世代にとりわけよくみられます。

近年、日本では若者ほど保守化するという奇妙な逆転現象が起きています。

「何政権であろうと、民主主義国家としてよくないのでは? 私がそう水を向けると、彼らはきょとんとした顔でこう言うんです。『そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか』って」

政権に批判的な残りの学生に対しても、肯定派は冷たかった。「空気を読めていない、かき乱しているのが驚き、不愉快、とまで彼らは言うんです」

「理屈ではなく感覚なんです。安定に浸っていたい、多数派からはじかれて少数派になりたくない。そんな恐怖が少数派は罪という考えまで至るのではないでしょうか」

なぜ若者の政権支持率は高いのか 学生との対話で見えた、独特の政治感覚
https://globe.asahi.com/article/13770867

これは世の中のうす暗い雰囲気を敏感に感じ取り、環境への適応が起こった結果とも考えられますが、この不安の強さ、不安定さの背景にはやはり未熟化(ある種の家畜化)の要素が感じられます。

また恋愛への関心の低下、未婚率の上昇(※2)などにもその影響が表れていると考えることができるかもしれません。

「ある種の思考、とりわけ他者の社会的・心理的状況に関する道徳的決定を行うためには、充分な時間と考察が必要とされる。事態があまりに速く進んでしまった場合、他者の心理的状況にまつわる感情を、充分に経験できない可能性がある」。インターネットがわれわれの道徳感覚を損ないつつあるという結論に飛びつくのは性急だろう。だが、ネットがわれわれの生命の水路を作り変え、思索能力を減少させるにつれ、思考のみならず感情の深さもが変化しつつあるかもしれないと述べるのは性急ではあるまい。

穏やかで注意力ある精神を必要とするのは、深い思考だけではない。共感や同情もそうなのだ。

『ネット・バカ』 / ニコラス・G・カー

ナスは、"メディアとの接続を多用している"と自覚する女子たちと、オンラインにいる時間が少ない女子たちの情緒的発達を比べてみた。接続を多用する女子は、他人の感情を識別する能力が、それどころか自分自身の感情を識別する能力もあまり高くなかった。仲間にあまり受け入れられていないと感じているし、ソーシャルメディアをあまり利用しない女子たちのようには、友人たちと交流してポジティブな感情を抱かない。オンライン生活は、共感の喪失や内省能力の低下とつながっていたのだ。

『一緒にいてもスマホ』/ シェリー・タークル

精神科医の岡田尊司氏は今のこの状況を、アヘンの蔓延によって国力の低下や腐敗が進み、ついには滅亡を迎えた19世紀の中国の王朝、清になぞらえています。

かつて阿片に蝕まれ亡国の道を歩んだ清朝中国と同じ悲劇が、いまや落ち目のこの国の若者を見舞い、そうでなくても危うい未来にさらに暗い影を投げかけている。

『インターネット・ゲーム依存症』/ 岡田尊司

現生人類であるサピエンス(ラテン語で賢い人の意)は、旧人であるネアンデルタール人などに比べ、遺伝子の突然変異により前頭葉の体積が大幅に増大した結果、高度な知性や社会性を獲得し、今日の文明を築き上げたとも言われています(※3)。

しかし今、その強み、優位性を自ら捨て去ろうとしているのではないでしょうか。

それはこれまで人類がたどってきた文明の進歩という時計の針を巻き戻すことを意味しているのかもしれません。


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