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お坊さんという人類の進化の最先端をいく人々

理性を極めし者

このブログにはこれまで何度か、人類の力の源泉は理性にあるということを書いてきました。

動物脳である大脳辺縁系に由来する利己的な欲求、社会的な本能を乗り越え、ダンバー数を超える人数での協力体制を築き上げることで、文明は進歩してきたのです(※1)。

その象徴が近代国家であり、近代国家はまさに高度な理性を持つ人類だからこそ成り立つ統治制度と言えるでしょう。

それは裏を返せば理性を欠いた本能的な社会は、表面上は近代国家という体裁をとっていたとしても、その実部族(群れ)の集合体でしかなく、分断や抗争のうずまく殺伐とした社会であるということを意味しています。

ところで人類が理性の力によって進化したとするならば、我々の日常の割と身近なところにその最先端をいく人々、新人類が存在します。

それはお寺のお坊さん達です。

お坊さんは現代最高の知的エリート?

お寺のお坊さんは座禅や読経・写経(お経を読んだり書き写したりすること)を日々の日課にしています。

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出典:永平寺の1日の流れについて! https://zenkatsu.site/archives/7109

なぜこれらの行いがお坊さんの日課として定着したのかという経緯についてはわかりませんが(現役のお坊さんがいらっしゃいましたらぜひ教えてください!)、これらのアクティビティは理性を司る、脳の最高中枢である前頭前野を活性化させることが知られています(※2)。

人間の脳にも筋肉のような可塑性があることから、日常的に前頭前野を活性化させているお坊さんの前頭葉は高度に発達していると言えます。

 その後の研究で、修行者の脳は、形にも変化が起きていました。思考や創造性を担う前頭前野の皮質が厚くなる構造変化が見られたのです。また、脳の部位間のつながり(ネットワーク)にも変化がありました。修行者の脳では、恐怖感や不安、喜びといった感情の働きに関わる扁桃体と、前頭前野の結びつきが強くなる機能結合も確認されています。この結果、感情を制御する能力が高まっている可能性が考えられます。

瞑想の効果を脳科学からみてみる
https://imidas.jp/jijikaitai/k-40-105-17-01-g654


またお寺では戒律で酒やタバコ、美食、異性交遊など(酒池肉林)が禁じられているところも多いはずです。

なぜこういった、いわゆる快楽行為が禁止されているのか。

そもそも私たちが快感(興奮)を覚えるのは、興奮性の神経伝達物質であるドーパミンが脳内で分泌されているからです。

報酬系のドーパミンは、食事や運動などごく日常的な活動の際にも分泌されており、動物を生存や繁殖へと駆り立てる、生きるのに無くてはならない神経伝達物質です。

しかしドラッグ、ギャンブルなど未開の時代には存在しなかった、報酬系を過剰に賦活する超常刺激は脳内でドーパミンを過剰に分泌させます。

するとほんの一時は多幸感に包まれますが、それと引き換えに大きな代償を払うことになります。

ドーパミンの過剰分泌が起こると、過剰な神経伝達を抑制するために脳の安全装置が働いて、ドーパミン受容体の数を減らすダウンレギュレーションが起こります。

すると以前よりもドーパミン受容体の数が減ってしまうことになりますが、ドーパミン受容体は理性の脳である前頭葉にも幅広く分布しているため、前頭葉の機能低下を起こしてしまうのです。

実際にギャンブルなどの依存症患者は前頭前野の機能低下を起こしており、情動の抑制が効かず、思考力が低下し冷静な判断ができなくなっています(※3)。

話が少し長くなりましたが、要するに習慣的な快楽行為は理性の力を弱めてしまうということです。

お坊さん達は食事も質素ですが、私たちが特においしい🤤と感じる砂糖や高脂肪食も、それだけ多量のドーパミンが分泌されていることの裏返しでもあります。

つまりここまでの話をまとめると、お坊さんの日常というのは理性を鍛える(前頭葉を活性化する)ということに最適化されているのではないか?と考えることができます。

"正直の頭(こうべ)に神宿る"ということわざがありますが、お坊さんが聡明で誠実な人格者なのには理由があるということです(ただし宗教法人が非課税であることをいいことにたらふく酒を飲み、ベ〇ツを乗り回しているようななまぐさ坊主はのぞく)。

ところで近年、欧米の特に若者の間ではアルコール離れが進んでいるようです(※4)。

欧米人は遺伝的に悪酔いの原因となるアルデヒドの分解酵素(ALDH2)の活性が軒並み高いため、特別最近の若者がお酒に弱くなったというわけではありません。

またハイテク企業の集積地、イノベーションセンターとして知られるシリコンバレーでは一時期、ドーパミン・ファスティングといわれる快楽断食が流行していました(※5)。

そして現在ではGoogleをはじめとして、多くの一流企業で研修プログラムに瞑想が取り入れられています(※6)。

禁酒、禁欲、瞑想…

理性を鍛え、生産性を高めるためのこの世界的な潮流は、まさにお坊さん達が昔から日課としているものです。

「飲む、打つ、買う」という男の嗜みはもはや旧時代のものとなりつつあるのかもしれません。

禁欲、ストイックとは強さであり、快楽主義として知られるエピクロス派も決して肉体的な快楽を推奨していたわけではありませんでした。

ある意味では時代がお坊さんに追いついたと言えるでしょう。

そういえば現代最高の知性との呼び声も高い歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏も、まるでお坊さんのような風貌をしています(もっとも彼はゴエンカからヴィパッサナー瞑想の指導を受けて以来、瞑想に傾倒しているようですが)。

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このままの流れで行くと、知的エリートの象徴たる最先端ハイテク企業の社員はみんなお坊さんになるのではないでしょうか。

いやそれは言い過ぎました。

ハイテク企業の社員がなぜそこで働いているかと言えば、主にお金という私欲のためでしょうからね(意外とそうではない人も多いかもしれませんが)。

お坊さんのように理性を極限まで高めていくと、動物脳から生じる欲望はさざ波のようにかき消されていきます。

高給を求めてクリエイティブ企業に入社したはずなのに、最高のパフォーマンスを発揮しようとする場合、お坊さんのような理性的で私利私欲のない人間に近づいていかなければならない。

これを"知的エリートのジレンマ"と呼ぶことにしたいと思います()

国民総出家計画

ネーミングはともあれ、このジレンマは人類の進化ということを考える上でも重要です。

そもそも私たちの動物的な本能というのは、種の生存・繁栄のために備わっているものです。

その一方で人類の繁栄の鍵となったのは、本能を乗り越え利己的な欲求を抑制し、利他的にふるまうことで協力体制を築く理性の力です。

理性の弱い本能的な社会は、チンパンジーやネアンデルタール人などのような部族(群れ)単位の原始的な社会から抜け出ることができません。

一方で理性に極振りしたお坊さんは、生殖の本能まで克服してしまっており、もはや現生人類であるホモ・サピエンスからは一線を画した人類の進化形とも言えるかもしれません(ホモ・デウスならぬホモ・ボ〇ズ。字面的にまずそうですが)

ただし人類全てが出家でもしない限り、一般ピーポーがここまでの境地に達するのはまず不可能であり、ホモ・サピエンス→ホモ・ボ〇ズ化による絶滅シナリオは余計な心配と言えるでしょう。

しかし世界的な潮流は間違いなく理性の高度化にあり、これに乗り遅れることはすなわち国家の衰退を意味します。

つまり国際的な競争力を維持するのに必要なのは、社会全体の理性の強化であり、一番手っ取り早いのは兵役義務ならぬ、出家義務かもしれません。

一定年齢に達したら一度はみなお寺に入り、お坊さんのように修行を積むのです。

その修行期間を終え、俗世(社会)に戻った暁には、理知的で誠実、聡明な人間に生まれ変わっているというわけです。

なかには途中でなまぐさ坊主のような煩悩まみれの退廃的な生活に戻ってしまう人もいるでしょうが、それでも社会全体の理性は見違えるほど底上げされるはずです。

日本社会の再興。

それにはこの国民総出家計画しかないのです…!


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