理性なきところに社会の繁栄はない
※今回は停滞する社会の背景について考えてみましたが、かなり批判色の強いものになってしまいました(テイストとしては『言ってはいけない』に近いと思います)。以下はあくまで個人的な見解であり、読後感もあまり良いものではないと思いますが、今の社会に違和感を感じていたり、問題意識を持っている方の一助となれば幸いです。
自己責任社会という伝統
以前に日本は自己責任社会であり、とりわけ自助が求められるというようなことを書いたことがあります(※1)。
少し前のデータになりますが、以下は米シンクタンクによる貧困層への国の支援に関する国際的な意識調査の結果(※2)です。
日本では「最も貧しい人たちを国は援助すべきか」という問いに対し、同意すると答えた人は59%と世界最低の水準にあり、また同意しないと答えた人も38%に上るなど、諸外国に比べかなり特徴のある結果が得られています。
この共助・公助を嫌う体質は、おそらくここ数年~数十年の話ではなく、かなり以前から続いているものです。
このような体質はもはや一つの文化とさえ言えるかもしれませんが、自己責任論が蔓延る背景には何があるのでしょうか。
以前にも触れたことがありますが、一つには脳内セロトニン濃度が低く、不安やストレスを感じやすい(※3)ために集団志向となる民族性があると考えられます。
特定の集団(ウチ)での結びつきが強くなると、その反作用としてソトの世界に対する排他性、閉鎖性が高まることが知られていますが(※4)、これは愛着ホルモンとして知られるオキシトシンの作用であり、強い集団志向こそが排外性を増していると言えます。
そして集住社会が連綿と続く中で、限られたムラの資源を一方的に奪うだけのフリーライダーは厳しく排除されてきましたが、その行動原理の元となっているのは不安や妬みなどネガティブな感情の震源地である扁桃体(動物脳)の活動性の高さです(※5)。
ムラの秩序の維持に寄与してきた、裏切り者を敏感に検知するこの怒りや妬みの感情が先の調査結果に表れているとも解釈できます。
また別の原因として考えられるのは、慢性ストレスによる理性の侵食です。
ストレス社会と言われる現代社会には、慢性的なストレスにさらされる機会がいたるところにありますが、ストレスホルモン(コルチゾール)が多量に分泌されている状態が長く続くと、前頭葉や海馬の神経細胞が死滅してしまい、思いやりや冷静さを蝕んでしまうのです(「衣食住足りて礼節を知る」、「貧すれば鈍する」と言いますね)。
これらの要素が絡みあい、自己責任社会という伝統が維持されているのかもしれません。
理性なき社会は衰退の道をたどる
少し前に老後2000万円問題という年金問題が大きな話題になりましたが、経済的な不安は現代社会における代表的なストレス要因と言えます。
コロナ禍にあって先進国各国は積極的な財政出動、手厚い失業給付を行い、経済が持ち直してきていることからわかるように、経済的な問題というのは本来、多分に政治が解決すべき課題です。
しかしわが国にあってはオリンピックや一部の政府支出に巨額の税金が注ぎ込まれるなど、国難にあってもなお「今だけ、金だけ、自分だけ」という利権政治が繰り広げられているようにも映ります。
サミュエル・スマイルズは『自助論』の中で、"政治は国民を映す鏡"であると指摘していますが、自己責任社会における政治もまた、自助を要求し、ひたすらに自己利益を追求するものになっているのかもしれません。
多様な文献を通して通説を覆すような国民性を暴いた橘玲著『(日本人)』では、従来のムラ社会で空気を読むという日本人論は農耕社会一般に共通するものであり、寄らば大樹の陰とムラに身を寄せ嫌々ながらも掟に従った方が"得"だという世俗的な損得勘定(水)にこそ特徴があると説かれていますが、この固定化された利権政治の背景にあるのもおそらく、強い利己主義の存在です。
政治家はその地位や待遇のために立候補し、有権者もわかりやすい利益が期待できる者(利権団体)が票を入れるため、利権を代表する候補者が当選して自己利益の追求に勤しみ、社会問題が解決されないまま放置されるという構図がうかがえます。
また昨今では社会問題が放置されるのみならず、政治における不透明な金の流れ、公文書改ざんなどが問題となっています。
このような不祥事は政治に限った話ではなく、民間企業などでも相次いでおり、官民を問わず組織的な不正行為が蔓延していると考えられますが、その背後にも利己性が見え隠れします。
そしておそらくはこのような体質も戦前から続いているものです。
この組織的な不正について考えるうえで参考になるのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが著した『菊と刀』に登場する罪の文化、恥の文化という概念です。
欧米圏の罪の文化とは、その罪の意識(罪悪感)から内発的に不正行為にブレーキがかかる行動様式のことを意味していますが、対照的に日本のような恥の文化においては、世間の目という外部性が規範となっているということを指摘しています。
より正確に言えば、恥の文化で逸脱行動を抑制しているのは村八分という制裁の恐怖ですが、ベネディクトの指摘するこの恥の文化は、隣人の目がなくなるとタガが外れてしまうという危険性をはらんでおり、隣人も共犯者である組織的な不正行為にはブレーキがかかりにくいということを意味しています。
"赤信号、みんなで渡れば怖くない"
1980年頃に流行語となったこのブラックユーモアは、その心理を実によく描写しています。
この恥の文化と罪の文化の違いは、宗教という絶対性から生じる罪の意識が存在しているかどうかによるというのが通説ですが、この文化の違いは宗教を超えた、民族性(遺伝的要因)に根差したものである可能性があります。
研究では、動物脳である大脳辺縁系の活動性が高いほど、向社会的に振る舞うにあたり理性の脳である前頭前野による強い抑制が必要になることがわかっています。
つまり利己的な行動に走るか利他的(向社会的)に振る舞うかは、動物脳と理性脳のパワーバランスによって決まることになりますが、動物脳が優位で理性脳が弱まりやすい場合、利己的な欲求のままに不正を働いてしまいやすくなるのです。
シルバーモンスターと言われる高齢者クレーマーの存在はとりわけ日本に特徴的と言われているそうですが(※6)、理性を司る前頭葉は早ければ40代から萎縮が始まることが知られています。
凶暴老人は情動をコントロールする理性の衰えによりキレてしまうわけですが、不正を繰り返す組織(ガバガバなコーポレート・ガバナンス)はその意味においてキレる老人と根を同じくしていると言えるでしょう。
この情動優位の民族性は、議論や評論を不得手とするという特徴にもつながっていると考えられます。
戦後日本を統治したGHQのマッカーサーは「日本人は12歳の少年のようだ」という発言を残したとされていますが、こうした理性の未熟さを見抜いていたのかもしれません。
またこのことは公益を考えられる理性的なヒーロー(リーダー)が生まれにくいという土壌とも関係している気がします。
あらゆる組織で忖度合戦が繰り広げられるのも、上司が何よりもそれを評価する(自分にとって都合が良いかどうかを判断基準に昇進させる)からにほかなりません。
しかし忘れてはならないのは、人類がこれほどまでに繁栄したのは、動物脳から生じる利己的な欲求を理性で抑え込み、利他的に振る舞うことで協力関係を築くことができた点にあるということです。
ホモ・サピエンスを地球上の支配者たらしめたのは、厚い前頭前皮質によりもたらされる理性、社会性なのです。
理性を失い、敵意や怒り、利己心といった本能的な情動がむき出しとなった社会では、いたるところで不信や対立が生まれ、究極的にはチンパンジーやネアンデルタール人のような原始的な(ムラ)社会へと舞い戻ることを余儀なくされてしまいます。
理性を取り戻すには
この動物脳>理性脳となりやすい民族的特徴は、ある意味災害の多い厳しい住環境を生き抜いてきた代償ともいえます。
長い歴史の中で、環境の変化により敏感な性質が生存に有利に働いてきたと考えられるからです。
一方でその進化的適応は、近代国家という理性の象徴ともいえる社会を維持するにあたっては仇となってしまっていると言えるかもしれません。
バブル崩壊以降、失われた20年、30年とも言われる時代に突入し、この停滞・衰退からの出口は一向に見える気配がありませんが、複雑化した社会における諸問題を解決し、未来を切り開くにはやはり冷静な理性の力が必要です。
ではその理性を取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。
以前にも書きましたが、動物脳と理性脳は互いに相手を抑え込むような働きを持っているため、一度動物脳が優位になると、理性はどんどん侵食されやすくなってしまいます。
それを防ぐためには意識的に理性の脳である前頭前野を鍛える必要があり、具体的には有酸素運動や瞑想、人との対話などのアクティビティ、デジタルデバイスの過剰使用などの依存行為を避けるなどの習慣づけが重要です。
また動物脳を刺激するような慢性ストレスを避けることも大切ですが、このストレス社会においてストレス要因を完全に取り除くことは難しく、根本的にストレスレス社会を目指すうえではやはり社会システムを変えられる政治の力が必要であり、一朝一夕にどうにかできることではありません。
しかし社会の構成員たる個人が理性を取り戻すことは、政治が理性を取り戻すことにもつながり、理性的な政治によってもたらされる暮らしの余裕が、さらに社会の理性を強固にするというループの循環が期待できます。
街行く人々が失われた理性を取り戻した時にこそ、社会の未来も開けてくる。
そんなことを思います。
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