消費する楽しさから創造する楽しさへ
私も立派なおっさんと言われる歳になり、このところどこか遊びに行きたい、何かおいしいものが食べたいといった類いの欲の衰えを感じるようになってきました。
これはおそらく単なる老化現象の一種なのですが、良いふうに解釈すれば成熟したと言えないこともないかもしれません。
この強がりには全く根拠がないというわけでもなく、人間の脳(特に最後に発達する前頭前野)はおおむね30歳頃まで成長すると言われていますが(※1)、抑制系のセロトニン神経、GABA神経には前頭葉を介して欲求(報酬系)の中枢である側坐核を抑制する経路があります。
たとえば中高生や若手の社会人なんかがついイキってしまうのも(目立ちたいという欲求を抑えられない)若さゆえと言えるかもしれません。
あともう一つ考えられるのは仕事に一区切りがつき、余裕ができたということです。
意志力(自我消耗)に関する社会心理学者ロイ・バウマイスターの有名なクッキーの実験というのがありますが、この実験が示唆しているのは、集中力や情報処理能力、自制心を生み出す意志力のタンクは一つしかなく、このタンクが空になってしまうと理性的な力が生み出せなくなるということです。
古代ローマの奴隷の中には、労働の対価として得た報酬を貯めて自分自身を買い取り自由の身になった者がいたと言われていますが、現代の仕事終わりの労働者はMPを限界まで使い切っている(マルクス風に言えば体力だけでなく意志力も搾取されている)ため、自制心が働かずに散財してしまいやすいと言えます(※3)。
私もバリバリのラットレーサーだった頃は仕事が終わるとついつい無駄遣いをしてしまっていましたが、回し車から降りた時、この一種のハメ込みとも言える構図に改めて気が付いたというわけです。
では消費意欲が薄れた今、代わりに何があるかということを考えてみると、それは何かを作り出すことへの意欲かもしれません。
ところで先日物件探しに福岡を再訪したのですが、クリエイティブ都市をうたう福岡には良い意味での余白のようなものを感じます。
GAFAに代表される世界的なハイテク企業の多くも、はじめの一歩は郊外にある閑静な住宅街のガレージから始まっていますが(※4)、優れた画家がその能力を発揮するには、目の前のキャンバスに余白がある必要があります。
そしてその余白はまた、心のキャンバスにも余白を作るような気がします。
時間的、空間的なゆとりがあると、集中力や意欲を発揮するためのMPが温存され(人混みの中で目のやり場に困ってスマホをのぞくみたいなこともなくなります)、自然と何かを作りたいという創作への意欲のようなものが湧いてくるのかもしれません(※5)。
私も福岡に移住したら何か新しいことを始めてみたいと思っていますが、どうせなら地域との関わりが生まれるようなことをやってみたいと考えています。
パンデミックの影響もあり、今ネットやゲームに依存気味の人が実はかなり多いのではないかという気がしていますが、結局のところその大部分はリアルがつまらなかったり、暇を持て余していたりするところに原因があるように思います。
今考えているのはいかにも陰キャ風ですが、時事問題(今であればウクライナ問題や円安)などについて居酒屋談義のような感じでゆるくディスカッションするコミュニティです(実はひそかにもう作ってあるので興味のある方は探してみてください)。
またこれに限らず今後も何か思いついたらライトにやってみようと思っています。
見た目のおっさん化は止まりませんが、遊び心はいつまでも忘れないおっさんでありたいと思います。
※1:
※2:
ただしこの決断疲れ(自我消耗)は軽食を伴う小休止によりほぼベースラインまで回復することがわかっており、午前10時と午後3時におやつ休憩をとるという習慣は古くから伝わるおばあちゃんの知恵袋と言えるかもしれません。
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.1018033108
※3:
上記のことから帰宅前に軽食を摂ったりするのは有効な無駄遣い予防法と考えられます。
※4:
※5:
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