真の幸福とは

幸せとは

人は幸せになるために生まれてくる。

スピリチュアルの世界では、人間が生まれてくる理由についてそう説明されることがあります。

人間は幸せになるために生まれてくるのだから、どんなに辛いことがあっても最後は絶対に幸せになれるよ、と。

幸せ…

多くの人に口にされるこの言葉ですが、果たして幸せとは一体何なのでしょうか。どのような状態を人は幸せと呼ぶのでしょうか。

そんなものは千差万別だ。人それぞれ幸せの形は違う。そう考える人は多いかもしれません。

幸せの象徴

しかし世の中の多くの人が幸せの象徴として挙げるものがあります。

それは恋愛や結婚です。

なぜ恋愛や結婚が幸せをもたらすと多くの人が信じているのでしょうか。

それは子孫繁栄、すなわち遺伝子の保存という観点からある程度説明がつくのではないか?と私は考えています。

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本を読んだことがあるでしょうか。この本ではタイトルのとおり、あたかも遺伝子が意思をもっているかのように、自身の生存を至上命題として宿主である人間を意のままに操っている。そんな仮説が提唱されています。

つまり生殖や育児をはじめとした遺伝子の複製に寄与するような行動に、人は無上の悦びを感じるようにプログラムされているのではないかということです。

そしてそのような行動をとったときに心の内に湧き上がる感情。それを人は幸福と呼んでいるのではないか?と考えています。

現実は非情

それなら話は簡単だ。みんな結婚して子供を残せばいいじゃないか。

しかし現実は非情なものです。

世の中にはパートナーに恵まれない人や、病気や不妊で子供を持てない人がいます。子供が生まれたとしても、その子が事故や病気で亡くなってしまうこともあります。また障害等のハンディキャップを持っていて、その子がパートナーに恵まれないという可能性もあります。

確かに恋愛や結婚は大いなる充足感をもたらしてくれるかもしれません。遺伝子の命令通りに突き進むことで、多幸感に浸れるようにおそらく人間はプログラムされているのではないかと思います。

しかしそれは外的要因や他者に依存しているという点で、ある意味脆いものかもしれません。

それでは、いつ何時も揺らぐことのない幸せなどというものがあるのでしょうか。

修行僧が目指す境地

その答えのヒントはお寺のお坊さんにあるのではないかと私は考えています。

お坊さんは毎日、座禅を組んで瞑想することを日課にしています。

なぜお坊さんは瞑想をするのでしょうか。

人間の脳は大きく分けて原始的で動物的な大脳辺縁系と、人を人たらしめている新しい脳、新皮質に分けられます。そして大脳新皮質の中枢とも言える前頭葉、前頭前野。この部位は思考や意思決定などのより高度な機能を担う中枢であり、同時に原始的な脳である辺縁系を抑制する働きを持っていることが知られています。

そしてこの前頭前野は瞑想を行うことで活性化されることがわかっています。また最近の研究で脳には"可塑性"というものがあり、筋肉のように使えば使うほど鍛えられ、逆に使わないと衰えるということも言われるようになってきています。

瞑想を続けている修行僧は普通の人と比べて、より前頭葉が発達しているのです。

これは何を意味するのでしょうか。

辺縁系は恐怖や不安、欲望などのあらゆる情動の震源地です。情動には興奮や喜びといった一般的にはポジティブとされる感情も含まれます。

つまり情動とは双極的なものであり、ポジティブな感情を強く感じる人はネガティブな感情も人一倍感じてしまう傾向があると言えます。

ある種の幸福を手に入れた時の喜びは大きいかもしれません。しかしそれを失ったとき、手に入らなかったときの悲しみもその分大きくなってしまうということです。

感情豊かな人というのは、ジェットコースターのように巡る情動を味わっているのかもしれません。

辺縁系を抑制する前頭葉が発達している修行僧のような人は、感情の振れ幅というものが常人に比べて少ないと言えます。

瞑想は、理性の象徴とも言える新皮質で辺縁系を制圧することで情動の芽を摘み取り、常に平静な心を保つことができるようにする訓練とも言い換えることができます。

お坊さんが座禅を組んで、ひたすら瞑想に励む理由。

それは真の幸福が、いかなる外的要因に対しても波一つ立つことのない平穏な心の中にあるということを知っているからかもしれません。

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