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皇室問題から考える国家という宗教の構造

皇室なんてやめてしまえ?

このところメディアでは連日のように皇室の婚姻問題に関するニュースが報道されています。

マスコミが盛んにこの皇室問題を報じるのは、それだけ視聴率やページビューが期待できる、すなわち情報の受け手である国民の関心が高いことの裏返しとも言えますが、一見いちゴシップに過ぎないこの問題がなぜこれほど注目を集めているのでしょうか。

背景には内親王のお相手であるK氏の実家の金銭問題があり、端的にいえば皇族、皇室という立場を利用(して税金を私的流用)するフリーライドではないか?という疑念、憤りがその関心の元となっているようです。

日本のようなムラ社会の歴史の長い地域では、とりわけ一方的にタダ乗りしようとするフリーライダーへの監視の目は厳しく、こうした疑惑があると炎上に近い状態にまでなってしまうのもある意味無理のない話かもしれません。

コメントのなかには、今時ただのお飾りでしかない皇室を(税金で)維持する理由はどこにある?いっそのこと皇室なんて辞めてしまえ、なんていう過激な意見もちらほらあります。

皇室は国家という宗教のシンボル

しかし皇室(王室)、君主制を維持している国は日本だけではなく、イギリスやスウェーデンなど世界にもまだ数多く存在しており、現在までその体制が維持されているのには何らかの理由があるとみるべきでしょう。

では何のために皇室は存在しているのか。

その理由について、Quoraにとてもわかりやすい回答があったので全文紹介したいと思います。

実は権威のある王室は国の平和に貢献します。逆に権威のない王室は国の秩序を乱すこともあります。このように、王室の権威がどの程度強いかで王室の存在意義の度合いは変わってくると思います。

ここで軽く権威の説明をしておきます。権力(power)と権威(authority)は全く異なるものです。例えば、合衆国大統領は権力を持つ一方で、ローマ法王は強い権威を持ちます。このように、行政的な力はないですが、強い影響力を与える政治的な力のことを権威と呼ぶことができるでしょう。難しいのは、何が権威であるかを行政的に具体的に定義できないことです。抽象的な話になってしまいますので。なので、権威というモノを理解できない国民にとっては王室は混乱を生むだけの全く無意味なものになります。

では、世界最強の権威を持つ日本の皇室について考えてみましょう。

まず意外と見落とされがちですが、皇室の存続は単純にそれだけで計り知れない歴史的価値があります。日本の天皇家は証明されている限りでも世界最古の男系一家の一つです。実は天皇家は、法隆寺の木造建築と同じように日本の歴史を語る上で重要かつ保護すべき歴史的文化財なのです。

次に天皇家の権威についてですが、実は天皇家は今日に至るまで強い影響を日本社会に及ぼしています。実は、天皇がいるだけでかなりの政治的安定が保証されているのです。日本は、権力は総理大臣、権威は天皇が担っています。この権力の側が変わったとしても、権威は変わりません。なので、政権が変わったとしても国として一つの纏りを持つことができるのです。

これが権威のない国になるともう大変です。例えばアメリカ合衆国は典型的な権力国家で、権威は全く存在しません。このような国家では、国の纏りを揺るがすような出来事が起きると簡単に分裂の危機に晒されます。BLM問題や政治的分断など、恐らく天皇家がいる日本では天皇家の権威に抑えられて起きない、もしくはここまで加熱しないような問題がアメリカでは起きていますよね。これらの問題が今後どうなるかは流石に主題を外れるのでとりあえず置いておきますが、このように権威のある王室というのは国を纏めて平和を維持するという存在意義が一般的にあるのです。

仲村 悠希さんによる「国にとって、王室の存在意義はなんですか?」への回答
https://qr.ae/pGJACJ


"君臨すれども統治せず"という権力と権威の分化が国家の安定に寄与しており、皇室という揺るぎない国家の象徴(シンボル)があるからこそ、いついかなる時も国は国であり続けることができるということのようです。

宗教は用法を守って正しくお使いください

天皇や皇室の存在を意識する機会はそれほど多くありませんが、よく考えてみると、普段私たちの生活の中には日常的に国家という概念の刷り込みがあります。

○○語という言語、国旗や国歌、"外国"との対比(国内 vs. 国外)の構図などなど、いたるところに国家というものを意識させるための仕掛けが存在しています。

私たちは知らず知らずのうちに、○○人としてのアイデンティティを日々刷り込まれていると言えます。

それは裏を返せば、国家という概念が自明のものではなく、その実根拠のない虚構であるということを意味しているのかもしれません。

国という概念は、とりわけ単一民族である日本人にとってはあまりにも当たり前で、異論の余地すらないようにも思えますが、少し見方を変えると国家こそ壮大な宗教とも考えることができます。

ホモ・サピエンスが地球上の支配者たりえたのは、社会的本能を乗り越え、ダンバー数をはるかに超える人数での協力体制を築けたからですが、その"かすがい"、力の根源となってきたのが宗教であり、宗教こそ人類の生み出した最大最強の発明と言えるかもしれません。

しかし宗教が生み出す力は良くも悪くもあまりに強大です。

歴史を振り返っても、人類の争いの多くは宗教的な対立をその背景としており、有史以来、宗教により多くの血が流れてきたのは紛れもない事実です。

現代でも○○教原理主義といった(カルト)教団の存在は、グローバル社会に暗い影を落としています。

その意味で宗教とはある種の劇薬であり、その用法は極めて慎重に検討されなければならないと言えるでしょう。


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