エリート()でありたい

さてこれまでに書いてきた記事を読み返してみると、私の陰気さがにじみ出るようなマジレス風味の辛気臭い記事ばかりで鬱々とした気分になってくるので、たまにはポップな感じで何か書いてみたいと思います。

生粋のめんどくさがり

このブログのタイトルにもものぐさというワードを入れ込んでいるように、私という人間の多くがめんどくさがりという特性で占められています。

どれほどめんどくさがりかと言えば、ネトゲ廃人のごとくトイレに行くのすら億劫で、その辺に転がっているペットボトルに用を足しかねないほどです。

そもそも私がセミリタイアしたいと思うのも毎朝決まった時間に出勤したり、一工夫必要な手間のかかる仕事をめんどくさいと思ってしまうからです。

要するに、日々の生活から「やらなきゃいけないこと」を極力減らしたいと思っているわけです。

毎日が「これをしなきゃいけない」という義務感で溢れていると、常に時間に追われているような気になりますし、何かに縛られているような窮屈さを感じてしまいます。

ダメ人間達がイノベーションを生んできた

めんどくさがりは世間一般ではネガティブなイメージでとらえられます。世の中に皆勤賞というものがあるように、勤勉であることは好ましく、模範的であるとされています。思えば義務教育にはそれを体に染み込ませるという目的もあるのかもしれません。

しかしよくよく考えてみると、人類の長い歴史の中で、私のようなものぐさな人間が果たしてきた功績は大きいのではないかということに思い至ります。

勤勉な人というのは日々のto do リストを苦もなくこなしていくため、現状を変えたいと思うことが少ない、またはあったとしてもそれほど切実には思わないのではないでしょうか。

反対に、ものぐさなナマケモノ人間というのは日々いかに楽をするかということしか考えていないので、どうすればもっと楽できるかということに心血を注ぎます。

何とかしたい、もっと楽をしたいと思う怠惰さが原動力となり、彼らを創意工夫に駆り立てるのです。

結果的にそうしたダメ人間たちによって発明がなされ、世の中が便利になってきたという側面が少なからずあるように思います。換言すれば、めんどくさがりな人間によって時代は切り開かれてきたと言えます。

つまり何が言いたいかと言うと、私のような人間こそがイノベーションを生むということです(キリッ

意識低い系エリートでありたい

仕事で昇進するためだったり、社会的な地位や名声を得るための努力はまっぴらごめんですが、将来楽をするためならば不本意ながら多少のことは歯を食いしばって取り組んでいくつもりです。

今の仕事もそれなりに頑張っているつもりではあります。

以前書いたように(※1)、本来ならば毎日その日暮らし的な生活を送りたいところです。

そしてそのような動物的な生き方の方が、より自然に近いのではないかと思うこともあります。

しかしそうは言っても明日からも人生が続いていく可能性は高いので、多少なりとも将来への備えというものが必要です。

ただし極力めんどくさいことは回避したいので、いかに効率的に備蓄するかということについては割と真剣に考えているつもりです。楽をするための努力は惜しまない主義です。

もしかしたらある人の目には私の言動は意識が高いと映っているかもしれません。

しかしそれらはすべて、元をたどればできるだけ楽をしたいというナマケモノ的発想から来ているものなのです。

もっと楽をしたい、怠けたい。そんなふうに思っているダメ人間達の星となれるよう、これからも日々精進していきたいと思っています。


※1:


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