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今その場所が世界のすべてではない

世界に冠たるパワハラ大国?

われわれ労働者にとって仕事にまつわる悩みというのはつきものです。

中でも大きな悩みの種の一つは、本音の転職理由としても常に上位にあがる職場の人間関係(特に上司との関係)ではないでしょうか。

2015年にISSP(国際社会調査プログラム)で実施された仕事意識に関する調査では、26%がこれまでに何らかのハラスメントを受けたことがあると回答しており、これは世界第三位という結果でした。

出典:https://president.jp/articles/-/28602

ただしこの結果は元記事でも指摘されているように、ハラスメント意識が高い国ほど上位にランクされているだけではないか?とも解釈できます。

一方2019年の国内の労働組合連合による調査では、回答者の37.5%がこれまでに職場でハラスメント行為を受けたことがあると答えています。

出典:https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00495/

また2020年に全国の企業と労働者を対象に実施された厚生労働省の実態調査では、およそ3人に1人が過去3年以内にパワハラを受けたと回答しています。

出典:https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_18384.html

前述のISSP 2015では同僚との関係性についての調査も行われていますが、同僚間の関係が良いと答えた人の割合は対象37か国中、最下位という結果でした。

出典:https://president.jp/articles/-/29779

これらの調査結果からみえてくるのは、世の中には不機嫌でパワハラ体質な職場というものがそれなりの数存在しているのではないか?ということです。

世の中には幼稚なおっさんがあふれている?

そういった残念な職場を象徴しているのが子どものように幼稚なおっさんの存在です。

以下の記事では近年「少年の心を持ったおじさん」が増えていると指摘していますが、記事を少し読めばそんなかわいらしいものでは全くないことがわかります。

 50歳を過ぎてるとは思えぬほど、子どもじみたパワハラを繰り返す上司、酒を飲むと性に目覚めた中学生みたいなノリで下ネタで盛り上がるおじさん、満員電車で強く押されたと「殺すぞ、てめえ」とイキってみせる中年サラリーマン。飲食店などで、息子や娘くらい歳の離れた若者に激しいクレームを入れるオヤジなど、「大人」と呼ぶにはかなり抵抗のある「子どもみたいなおじさん」が増えている気がしないか。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1805/08/news049.html

早い話が自分の思い通りにならないからといってすぐに怒鳴り散らすとっつぁん坊やです。

とっつぁん坊やは見た目は大人ですが頭脳は子どもであり、モラルやマナー、大人らしい思慮深さというものを欠いています。

このような困ったおっさんの存在を裏付けるのが国レベルでのEQの低さです。

出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000040977.html

EQとは簡単に言えば自分の感情に気付き(メタ認知)、それを適切にコントロールする力のことですが、この能力が世界最低レベルにあるのです。

依存行為に耽りやすく、タバコやギャンブル、スマホゲーなどに一度ハマるとやめられない。

承認欲求や虚栄心が強く、やたらとブランド物を好む。

権力への執着や他者よりも優位に立ちたいという欲求(生存・繁殖本能)、妬みの感情が強く、ことあるごとに武勇伝を披露したがり、マウンティングが大好き。

これらおっさんの特徴の根っこにあるのはEQの低さ、情動(感情)や欲望を制御する理性の弱さです。

紳士とも呼ばれる成人期の男性は本来、生物学的には最も理知的な存在のはずですが、この国では精神年齢12歳のとっつぁん坊やが年功序列をいいことにやりたい放題やっています。

外国ではおそらくこのようなおっさんはまず人間性を疑われ、相手にされないことも多いのではないかと思います。

これにはまた別の理由もあると考えられます。

たとえばSF史に残る名作と言われる宇宙戦記『銀河英雄伝説』では、敵味方を問わず真っ先に戦死する無能な将官は、部下の冷静な進言を無視して感情のままに突き進む人物として描かれていますが、冷静な思考を司るいわゆるシステム2には原始的本能であるシステム1を抑制する機能があります。

脳の最高中枢である背外側前頭前野は集中力や思考力、創造力などの高次機能を担うとともに、情動(感情)の中枢である辺縁系を抑制する働きもしているのです。

以前に聡明なお坊さんが感情コントロールにも長けているのには理由があるということを書きましたが(※1)、理性とは社会的動物である人間が身につけた社会的知性でもあり、精鋭集団ネットフリックスに集まる優秀な人材が対人関係能力にも優れ、細かなルールがなくとも社内の規律が保たれているのはおそらく偶然ではありません。

まぁとっつぁん坊やもその実、その上の上司から詰められていたり、長時間労働でストレスが溜まっていたりというケースも多いのかもしれません。

しかしその状況を打開しようともせず劣悪な環境に甘んじ、ストレスの捌け口として弱い立場の者にあたるというのは大人の対応とは言えないでしょう。

今いる場所が世界のすべてではない

これまでの私の経験や冒頭のデータからみるに、わが国ではとっつぁん坊やが活躍するアットホームな職場()というものにそこそこの確率で遭遇してしまうのではないか?という気がしています。

よく石の上にも三年などと言われますが、そのような状況に直面してしまったとき、毎日どうでもいい人間関係に悩まされ、余計なストレスをためこみ心身の健康を損なうリスクを引き受ける価値があるケースというのはそれほどないように思います。

報告や配置転換などで解決できるのであればそれに越したことはないかもしれませんが、ハラスメントが常態化している職場というのは得てして上層部にも幼稚なおっさんが多く、それを黙認していたりするものです。

置かれた場所で咲きなさい、という人生論がありますが、個人的にはそれは過度の一般化であり、個々の現実を無視したきれいごとに過ぎないと思います。

どこかにきっと自分にピタリと合うベストなロケーションがあるはずだと根無し草のようになるのもそれはそれで問題かもしれませんが、せめて太陽の光が差し込み、しっかりと根を張れるような土壌のある場所を探した方が良いと思います(人によっては、もしかしたらそれはこの国の外かもしれません)。

陽の光が届かず、周囲には雑草が生い茂り、大地は干からび痩せ細っている。

風に流され偶然たどり着いたそんな不毛の地に根を張ろうとしても、陽の目を見ることなくただ朽ちていくだけでしょう。

その場所に定着できなかったからと言って過度に自分を責める必要はないと思います。

もっとこうすれば良かったかもしれないという内省もひとしきりは必要かもしれませんが、それ以上の余計なことは忘れて、きちんと根を張れそうな場所をまた一から探せばよいのです。

よく日本における就職とは就社を意味すると言われたりもしますが、あたかも今この場所が自分にとってのすべてだと思い込んでしまうケースも意外と多いのではないでしょうか。

しかしあえて言いますが仕事とは本来、原始時代の狩猟採集や農耕時代の畑仕事がそうであったように、本質的には食い扶持を得る(豊かに暮らす)ためのシノギでしかなく、職場とは役割分担してそれを効率よく行うための場に過ぎません。

自分が今いる場所、かつていた場所はこの世界のすべてではなく、社会に無数に存在する、ローカルな掟がまかり通るムラの一つでしかないのです。

その場所でどうやってもうまくいきそうにない時。そんな時はこの言葉を思い出しましょう。

地球上に職場はいくつあると思ってんの?


※1:


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