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おたんこ茄子なーすの今(につながる話)

私は、現在、学校で働いています。

学校といっても、養護教諭ではありません。“看護師”として、です。

「学校に看護師って、いるの?」

いるんです。

日常的に医療行為の必要な児童生徒が通っている場合、教員も特定行為研修を受ければ一定の医療行為(医療的ケア)を行うことができます。

学校で教員が医療的ケアを行うにあたり、安全に実施できるように、ということで看護師が配置されるようになりました。

私が一番最初に学校で仕事をしたのは、10年以上も前。

文科省と厚労省のコラボのような形で、教員も医療的ケアをしよう!そのために学校に看護師を置こう!となってから、まだ3〜4年くらいしか経っていない頃でした。

当時の私は、別に子どもが好きだったわけではありません。

臨床に疲れ果て、「もう働けない…」と思い看護師以外の道で生きていくことを模索していました。そして、辿り着いたのが“養護教諭”でした。

私が卒業した大学には教職課程はありませんでしたが、保健師免許から養護教諭二種が取得できたため、教員採用試験に向けての準備を始めました。

が、「そういえば、私、子どもの経験ないなぁ」ということに気づきました。

また、大学時代に養護教諭を目指していた同期が皆んな苦戦していたのを見ていたので、一回で採用試験に受かるはずもないし子ども関係で仕事でもしながらぼちぼち目指そう、と考えていました。

そんなときに偶然見つけたのが、特別支援学校での看護師の仕事だったのです。


いま思うと、よくぞ事故も起こさず無事に…、と思います。

なにせ、それまで私が経験したのはICUと手術室。

気管切開からの吸引も、胃ろうのケアも、学校で初めて経験しました。

実は、学生時代の小児看護学実習は、一般の小児病棟ではなく重症心身障害児入所施設で行いました。しかし、小児に全く興味のなかった私はほとんど当時のことを覚えていませんでした。

一緒に働くことになった同僚がNICU出身のベテランで、彼女からいろいろと教えてもらえたからこそ、乗り切れたように思います。むしろ、彼女がいなかったら、と考えると私は本当にluckyでした。


一旦は養護教諭を目指したものの、私は次第に重症心身障害看護の世界に魅了されていきました。

ICUで働いていた頃も、例えば、同じ胃がんの患者さんでも一人ひとり微妙に痛みの訴えやバイタルサインの変化が違います。基礎疾患の有無が、さらに術後の回復具合に影響してくるため、「患者さんの体の中では何が起こっているんだ?」と毎日こんがらがりながら仕事をしていました。

ところが、重症心身障害は、その遥か上を行っていました。

当たり前だと思っていたことが、そうではない。

ある生徒の受診に同行したとき、事前の血液検査でPaCO2が60Torrありました。

CO2が60あったら、かつて勤務していたICUだったらプチパニックになっていたと思います。

でも、主治医は穏やかな口調で「○○さん的には、まぁ、オッケーかなぁ〜」と。

「60でオッケーなんだ…。」

一瞬、くらっとしました。


側弯によって内臓の機能にも影響があって、それも側弯の程度はそれぞれ違うので、本当に“個別性”が強いです。

かつての私なら、面倒くさがって逃げ出していたかもしれません。

けれど、前出の同僚ナースとベテランの養護教諭の先生と、毎日あーだこーだと話し合っているうちに、どうすればその子にとってベストなのか?ということを考えることが楽しくなってきたのです。


「楽しい」と言ったら不謹慎に聞こえるかもしれませんが、これほど個性の強い人たちは初めてでしたし、マニュアルなんてあってないようなもの。全てゼロから考えなくてはいけないことも多く、そこに私は看護のダイナミズムのようなものを感じました。

それに、様々な職種の人と関わることができるのも楽しかったです。

学校の先生は、看護師とは違う目線で子どもたちを見ているので、先生たちの言葉から気づかされることも多くありました。

他にも、行政の福祉職の方や主治医、訪問看護師などなど、まさに他職種連携のオンパレード。

働きはじめた時は先生たちと意見がぶつかることもありましたが、1年経つ頃にはお互い信頼関係を構築することができました。


「ちゃんとした知識と技術を身につけたい!」

そう思った私は、2年間の学校勤務の後、臨床に戻り重症心身障害看護に携わることになります。

病院を退職後、今度は通所施設で、学校を卒業した後の重症心身障害の方たちに関わりました。

看取りも経験し、赤ちゃんから高齢者まで、一通りの世代にも関わることができました。


重症心身障害看護といっても、上述のように本当に幅広いです。

どの世代に、主に関わりたいのか?

幅広すぎて、やりたいことが見えなくなった時期もありました。

そこで、原点に立ち返り、私がこの世界に入るきっかけになった学校現場でもう一度仕事をしてみようと思いました。

私が最初に学校で働いた頃より、小児看護の世界でも特別支援学校が新たな看護提供の場として定着してきています。

けれど、“学校看護師の専門性の確立”という点では発展途上の分野でもあります。

いまは、この“学校看護師の専門性の確立”に貢献したいと考えているのです。

とはいえ、約10年のブランクを経て学校現場に戻って日も浅く、この10年の間に学校での医療的ケアの在り方について制度が変わり、現状把握するだけで精一杯な状況。

目標達成には時間がかかりそうですが、焦りは禁物。

ゆっくりでも、確実に歩みを進めていきたいと思います。


そんなわけで、今日はここまで。

お付き合いいただき、ありがとうございます。


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