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大先輩の女性が教えてくれた強さ

「家で暮らす人の健康への手伝い」は誰がしているのだろう。
そんな疑問を抱いて病院で看護師をしていた私は、
介護支援専門員の資格を得て、在宅医療に携わるようになった。

 

その中で出会ったA子さんは百歳に手が届く年齢で、
体調を崩す直前まで、庭の草取りをしていたという。  

連休前に、尿が出なくなって病院に行った。
長い休みに入ることもあって、
詳しい検査はせず、管を入れることになった。  

初めて会ったのは、連休が明けて、家に訪問した時だった。
この数日の間に、歩けなくなくなって、
看護師が体調管理することを希望した。

急な変化に、A子さん家族の戸惑いは相当なものと想像できた。
息子さん夫婦は仕事で昼間は外に出ていて、
たまたまA子さんの孫が里帰り出産で帰省していた。

A子さんは、子宮癌の疑いがあった。
家族は、年齢的にも検査や入院治療は、
本人にとっての苦痛だと考えた。

 
家で過ごせるように、
昼間はお孫さんが赤ちゃんと過ごしながらできる範囲の介護。
主には、様子が違った時に連絡をくれれば駆けつけることを伝えた。
夜間は仕事から帰った息子さん夫婦のできることを説明した。
管が入っているから、おむつを替える回数は少なくてすんだ。

在宅療養では、

本人は、家族の声や足音、温もりを感じることで、
そばにいてくれる安心を得る。

家族は、病気がすすんでいくことを肌で感じるのだと思う。


時間が残されていない場合のことも考えて、
「あの時、こうしておけば良かった」
という想いが少しでも軽くなるように、
家族へは、病状の変化を伝えた。
その時に付け加える言葉は、
「まだまだ頑張れる底力がA子さんにはあるかも知れないということ」。      

生きることへの希望は持ち続けて欲しい。
そして、何より、
明治、大正生まれの方が、何度も山を乗り越えたことを
本当にたくさん経験したから。          

家族に「このままでいいのか」と迷いが生じるたびに、
一緒に、彼女が何を望んでいるかを考えた。
そして、家族が生活スタイルを変えることなく、
頑張りすぎないことだと答えを出した。



一日中のほとんどを眠って過ごす、産まれたばかりのひ孫とA子さん。
その時間は短かった。

 

後日、遺影を拝むために訪問した。
関わりが終わった後に、グリーフケア
(遺族の死別による悲しみに寄り添い、心を寄せて、
ありのままに受け取る援助)に時間がある限り伺う。

大事な最期の時を一緒に過ごさせてもらった者の一人として、
A子さんや家族の頑張りを証明できる一人として話を聴きたいから。


介護期間中は、息子さん夫婦は仕事を辞めるべきか悩んでいた。
最期に立ち会えない後悔を考えたのも理由の一つだった。
A子さんは、家族全員が揃っている早朝に逝った。
「おばあちゃんの気遣いだったと思う」と息子さん達は話した。

「びっくりしたことがあったの」と話してくれたのは、
押し入れからA子さんが用意した白装束と
家族宛の手紙が入った風呂敷包みが見つかったこと。

A子さんは、お別れの時のために、
風呂敷包みを押し入れにしまっていた。 

その風呂敷き包みは、家族に思いを伝えるとともに、
針を持つ姿や、手紙を書く、在りし日の姿を遺した。


短い時間しか関われなかった私達にも、
どんな生き方をしたのかを教えてくれた。

いつ、その時がきてもいいように、
自分の手で、できることを済ませておく、
大正生まれの女性の強さを感じた。

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